2017.08.12 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ祭り

山口太鼓 @第七回三陸海の盆

さて本日からは、8月11日に行われました第七回三陸海の盆の中から、郷土芸能部門について取り上げて行きます。

そもそもこの三陸海の盆は、2011年3月11日に発生した大海嘯によって、それまでの日常が否応なしに変わらざるを得なかった時に、せめて鎮魂の日に以前のように集落のみんなが集まって先祖供養ができればということで始まったと思います。

第1回は、大槌町小鎚の避難所エリアにある広場に設置されたステージで行われた記憶があります。

避難所で必要な物を確認し、内陸部で調達して車に積み込み三陸沿岸部を北上した想い出があります。




で、これは今年の海の盆です

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中央にある太鼓は、三陸海の盆にいつも出演していた河内家菊水丸さんが宮古山口太鼓さんのために贈呈したということです。

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いずれ 山口太鼓を目の当たりにみて今後も楽しく伝承していってほしいと願うものでした。

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動画でどうぞ。

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2017.08.12 |

2017.08.08 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ祭り

薬莱神社三輪流神楽 「四面切楽」

さて本日は、薬莱神社三輪流神楽の篝火神楽から最後の演目となりました。
神楽の終演の儀礼として舞台の四方に回した注連縄を切り放つという四面切りです。

神楽舞台といえば、薬莱神社三輪流神楽では法印神楽の様式で舞台飾りをしておりました。

舞台の四方に忌竹を立てて、その上方に対角線に竹を交差させ中央部に大乗荘厳を飾ります。



大乗荘厳は、二枚の神鏡を下げて、その廻りを五行色の幕で囲み、そこから四方の忌竹に千道(白紙の紙垂)を渡しています。
この様式は法印神楽では大同小異の飾りです。
もっとも大崎八幡の能神楽では四角い木組から十二方に紙垂が垂れていました。⇒自ブログ参照

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演目の四面切楽ですが、この日は素面に白衣の一人舞で、正に四方に回した注連縄を切り放つというものでした。

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この四面切楽は神楽秘伝鈔によると、武甕槌尊、齋主命(経津主命)、奥玉命(猿田彦命)の三人舞で、「洲棲楽同意の楽也」とあるので、本来は三人での刀舞で刀潜りをする演目です。

鹿島楽といい、洲棲楽といい、三輪流神楽ではこれほどに鹿島香取二神の国造りが重要視されているということでしょうか。

ちなみに大乗神楽の〆切舞も三人舞の刀潜りになっていますので、同系ということだと思います。

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という訳で、二年に一度開催されます三輪流神楽の篝火神楽上演ですが、以上終わって8時30分頃でした。

今回は、子供たちの演目や囃子方での参加が多くあり、将来を期待される感じがしてとても充実した上演会だったなと思いました。(写真は載せませんでしたが、舞台後方で小さい子が小さい太鼓を打っていました)

昭和53年に宮城県指定文化財となったということですが、成立時期など今後の研究が進むと、あるいは国指定に相当する神楽のような気がします。

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動画でどうぞ。

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2017.08.08 |

2017.06.13 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ祭り

狼ヶ志田神楽 宝蔵破り @ 第13回神楽共演石越大会

さて本日は、第13回神楽共演石越大会から狼ヶ志田神楽さんで宝蔵破りです。

その前に、狼ヶ志田神楽さんの由来について(南部神楽系譜調査報告書より)

「狼ヶ志田神楽は、文久元年神楽の祖、菅原甚太郎、菅原新右エ門、菅原今朝吉、小野寺長蔵等が、小山、中沢神楽の本庄板太郎より山伏神楽を伝授された。
明治二十五年十一月、菅原甚太郎が上昼沢佐藤家を通して達古袋と縁組をしたことから、西磐井郡萩荘村達古袋阿部徳太郎、小岩彦三郎両師匠より達古袋神楽を伝授された。
達古袋神楽は、達古袋に永住した羽黒山系山伏一七代元道常学院相模坊が指導したと言われる。
大正五年二の台、養ヶ森、大正八年恩俗、衣川雲南田等に狼ヶ志田神楽を伝授している。
明治二五年初代庭元菅原甚太郎より昭和四四年九代庭元青沼松男に引継がれている。」

現在の代表jは高橋先雄さんです。

この日は久々に、青沼大先生が胴をとりました。



宝蔵破りは源平物語の一節である。
牛若丸の父義朝が平氏に敗れた際に源氏伝来の八十四巻の兵法書「多神通虎の巻物」を四国は熊山城主鬼一法眼に略奪された。藤原秀衡にこれなくして源氏の再興あるまじと諭され、単騎で熊山城に乗り込み鬼一法眼の娘である皆鶴姫を謀略して宝のありかを聞き出し、ついに巻物を奪還するというもの。

奥州平泉の藤原秀衡に源氏再興を目指すなら、平家に奪われた多神通虎の巻物を再び取り返さなければ叶わぬと諭され、四国は熊山城へと我が身を隠して潜入します。

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使用人と偽って、熊山城主の鬼一法眼の娘皆鶴姫を笛の音にて籠絡し、虎の巻の在り処をつきとめ宝蔵へと急ぎます。

牛若丸が宝蔵の中を必死で探す様が帯や布などを放り投げる所作に表現されています。
何が飛び出すかハラハラドキドキして観客は釘付けです。

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そして、多神通虎の巻物を見事取り出します。

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騙したわけではないが、源氏再興の暁には皆鶴姫を迎えに来ると言い残して平泉さして飛び立つ牛若丸。

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そこへ帰ってきた鬼一法眼

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宝蔵から多神通虎の巻物が盗まれたことに怒り、小鷹の法を使って飛び去ろうとする牛若丸を秘術を尽くして追いかけます。


兵法争いの場面、お互いに秘術の限りを尽くしますが、多神通虎を所持する牛若丸は三寸草隠れの法や大山九つ之法などを繰り出します。

戦いに敗れた鬼一法眼は、牛若丸にたぶらかされた皆鶴姫の耳鼻を削いで船に乗せ沖の小島に流し、自らは熊山城もろとも焼き討ち自害して果てます。

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2017.06.13 |

2017.06.05 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ祭り

浮田神楽 松迎 @ 舞初め2017

さて本日は、浮田神楽さんの舞初めから松迎です。


さて、演目の松迎は式外十二番に位置づけられている。
丹後の国の根野辺の長者に二人の子があり、兄は千秋(せんしゅう)、弟は萬歳(ばんぜい)という長寿の兄弟である。

幕出し唄は 〽 ヨーホー 松が谷だ ヨイイヨイヨイ

松迎では鳥兜の鶏が無いような羽烏帽子を付けていますが、一人の羽烏帽子の後方に剣がついています。(下の画像では左の一人)剣がついている方が弟だということです。



二人で廻りながら連舞をし、千秋が幕前で立ち止まったところで舎文がかかります。

〽 それ丹後の国根野辺の長者の二人の子に、兄をば千秋、弟を萬歳といいし者、兄弟二人な同じ心となり、父の仰せに従いて忽ち徳を申さんと根野辺の雪のことなれば、花を盛りに身を偲び、汝らをよしたいて髭を洗えば、我二人な手を合わせて天下を往来し奉る。天下泰平のことなれば、とかくはこれに年をへて

次に「さらば床几に腰をかけ・・・」で座して更に門松を寿ぐ舎文が続く

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〽 松を門にさっと立て  で手にした小松を床に差し立てる

 ここの舎文は東西南北に向かって良き年を祈るものとなっているようです。

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舎文が終わると面をはずして崩し舞です。

年の初めに相応しい神楽能の一番、松迎で晴れやかな気持ちになりました。

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2017.06.05 |

2017.05.28 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ祭り

象潟祭典 中橋の車切

さて本日は、秋田県にかほ市象潟町の統一祭典見物から中橋町の囃子屋台です。

中橋の車切と称されるこの風流山車はにかほ市指定無形文化財となっています。

この祭りは、中橋に鎮座する舩着八幡神社の祭礼で、毎年5月第3日曜日に行われているものです。
昨日ブログの熊野神社とは川向に対面していて、海からの関門的な役割を果たしていたのかと思います。



本殿から鳥居までの参道には立砂が置かれています。
神社の伝承によれば、神功皇后が三韓征伐の帰りに時化にあい、象潟の港に漂着した。
その際に由来着御の地には船着八幡、御休息の地には腰掛八幡、遺品の帯石を御神体とする若宮八幡、竜衣の濡れたのを掛けた松の木を記念する袖掛八幡として祀っているとのこと。

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その舩着八幡神社の祭典に町内を廻るのが車切と呼ばれる囃子屋台です。

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中橋の車切について「秋田民俗芸能アーカイブス」から引用すると

「車切の始まりの年代は不明とされるが、起源としては、昔修験者が山中修行の時に魔物につかれないために奏でたものが発展したといわれ、車切は遮ることだという。中橋の車切は中橋八幡神社の祭礼によるとされるが、塩越総鎮守である熊野神社祭礼も同時におこなわれることから、塩越地区を巡行して演じられている。屋台の運行は大人が引くが演じるひとは子どもとされている。中橋の八幡神社から出て、また神社にもどり納める。車切は単独で屋台を引き回すが、屋台には囃子方と踊り人が乗り、巡行中に各家々の前に屋台正面を向けて演舞される。」
とあります。

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確かにこの踊り屋台は一軒一軒に屋台の鼻を向けて囃子と踊りを披露して歩いていました。
殊に趣があるのは、この屋台の曳き廻しです。
小さいながらも10人近い子供たちを乗せた屋台を右に左にと曳き廻すので、梶棒や綱を操る技術が必要と思われますが、それが祭り組の伝承に委ねられているのだろうと思いました。

惜しむらくは、従来は象潟の町中を流して歩いたであろうこの屋台も少子化の影響で中橋地区のみの巡行となってしまったことです。

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2017.05.28 |

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祭・・・それは祈り、畏れ、そして縋り付くばかりの信仰、神人共生の歓びの象徴。さて、明日のエネルギーの糧を求めに彷徨おう。

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