2017.08.20 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ神楽

笹森神楽 明神舞 @第42回胆江神楽大会

さて本日は、第42回胆江神楽大会から昼神楽の部最後の笹森神楽さんの明神舞です。

笹森神楽さんの由来については次のとおり

「大正九年鈴木亀之丞が庭元となり、前谷地神楽の米倉純治の弟子で佐々木伊治を師匠として指導を受け笹森神楽を創設した。
なお現在の舞は、前沢町古城松の木沢、佐々木勇師匠の指導によるものであり、地割舞、明神舞は胆沢町内でも笹森神楽のみである。
初代庭元鈴木亀之丞より現在の庭元村上勇吉まで四代目である。
昭和三五年一一月胆沢町民俗無形文化財に指定されている。」
とあります。
現在の代表は村上幸吉さんで、この日も元気に胴を取っておられました。



明神舞は「神楽式舞」13番中6番目の舞で、獣の荒れすさぶのを鎮める舞である。
地割舞、明神舞はともに悪魔を祓い鎮め、天下泰平、延命息災、五穀豊穣を祈念する舞である。ということです。

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前半は狐面を付けてのネリ舞、後半は直面でのくずし舞です。
明神舞は山伏神楽の舞の手が数多くあり、祈祷舞となっています。

尚、瀬台野の神楽本では阿吽の狐面を付けた二人舞となっているようです。

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舞の最後は刀と扇で印を結んで舞納めます。

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動画でどうぞ。

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2017.08.20 |

2017.08.19 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ神楽

北下幅神楽 三番叟@ 第42回胆江神楽大会

さて本日からは、第42回胆江神楽大会の模様をリポートしていきます。

この神楽大会は岩手県の現奥州市(水沢区、江刺区、衣川区、胆沢区等)で伝承されてきた神楽団体が一同に会して奉納するものでした。
現在では、構成団体の胆江地方神楽振興協議会が主体となって開催しているものです。



午後2時位からの昼神楽では、神楽を伝承活動に取り入れている水沢南小学校神楽クラブや小田代神楽の少年教室等が上演し華を添えていました。

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さて本日は、北下幅神楽さんで三番叟です。

由来は、
明治8年に千葉源五郎が近隣八人の舞手とともに創設した北下幅神楽ですが、昭和36年3月24日に当時の水沢市指定の無形文化財となりました。
その際に、水沢市教育委員会が奥州胆沢北下幅神楽と名称したということです。

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三番叟の幕上げです

〽 吉が野に 吉が野に 日は照るとも 常に絶えせぬ 鳴る滝の水 

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前段の練舞が終わると口上の台詞になります。
こちらの三番叟では胴取りとの太鼓の応酬はありません。
台詞の合いの手に太鼓と笛が入るため非常に雅やかな印象があります。

目出度き詞を言い連ねて祝った後、崩し舞となります。
沖に鴎が飛ぶように  マゴチョイと申す

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動画でどうぞ。


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2017.08.19 |

2017.08.18 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ諸芸

崎浜大漁唄込み @ 第七回三陸海の盆

さて本日は、第七回三陸海の盆から崎浜大漁唄込みです。

といいつつ、演目に入る前に、プログラムの合間があいたので、会場の隣接地にある旧田老観光ホテルまで歩いてみた。

震災前は田老町が全国に誇る高さ10mのX字の巨大防潮堤でしたが、約20mを超える津波により瞬時に破壊され、防潮堤の内側にあったホテルも4階まで波が押し寄せて、2階まで破壊浸水したとこのとです。
この周辺は野原地区といい、昭和三陸大津波でも浸水地域で家がなくなった場所。
それが昭和50年代に新たな堤防が築かれて家が建ち始め、そしてここにホテルが建てられたという。
三陸沿岸の臨海地域に共通しているのは、町場を形成する平場が少ないために0m地帯でも建物をたてざるをえなくなるということ。
明治、昭和の大津波があっても10数年後にはまた新たな町が形成される、その繰り返しではあったが、今度ばかりはそうはいかない。そうあってはならないという教訓を後世に残すためにも、このホテルは震災遺構として残されることになったという。

大型重機が動き回る中で、海に向かって合掌し会場に戻った。



さて、崎浜大漁唄込みです。

由来について

「崎浜大漁唄込みはその昔、帆を操り櫓櫂を頼りに漁に出ていた時代から現代に伝えられているもので、300年を超える歴史があると言われております。
通信手段のなかった昔は、陸で待つ家族の元へ大漁の喜びを、いち早<知らせるための連絡手段でもありました。
唄い手が身に纏っている着物は、大漁看板と申しまして、大漁の際に網元から頂戴したご褒美で、言うなれば海の男の勲章でもあります。海の男の心意気は大漁看板に染み付いており、海の男のロマンは唄の中にしっかりと息づいています。
それは海を愛し、海に感謝し、海に捧げる讃歌であり、豊饒の海から港入りする、漁師の凱旋歌なのです。」

ということです。

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この唄い込みは今か340年前に紀州和歌山の新宮市宮崎から鰹漁とともに伝わったといいます。
唐桑では先の震災で大きな被害を受け、しばらくはこの唄をうたう気になれなかったと。
しかし、新宮市の漁師さんたちがいち早く救援物資を持って駆けつけた。(鮪を持って)
その恩に報いようと何かしなくてはと思った時にこの唄が自然と出てきた。
唐桑には「天運循環」という言葉が言い伝えられている。
これは、どんなに不漁がつづいても前の大漁から60年たてば必ずまた大漁があるという教えで、今回の震災から立ち上がり、必ずまた復興するのだという励みとしているそうです。


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動画でどうぞ。

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2017.08.18 |

2017.08.17 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ諸芸

桜舞太鼓 @ 第七回三陸海の盆

さて本日は、第七回三陸海の盆から桜舞太鼓です。

桜舞太鼓の由来については「桜舞太鼓」公式HPから参照⇒公式HPへ

「本郷・桜舞太鼓は、唐丹町(岩手県釜石市)の天照御祖神社式年大祭、現在の『釜石桜祭り』において、本郷地区手踊り太鼓として昭和28年に考案者である三浦徳松氏の指導の下、本郷地区の青年達に発足されて以来、その技を磨きながら本郷青年会に伝承されてきた太鼓であり、本郷地区の郷土芸能の一線上に位置する団体であります。
本郷・桜舞太鼓の特徴は桜の花ビラが舞い踊る様をイメージした一糸乱れぬ勇壮で華麗な撥捌ばちさばきの『桜舞流舞打』にあります。
現在は、平成12年に結成された『鼓舞櫻会』が舞打ちの伝承活動及び創作曲にも力を注ぎ、各種イベントにも参加し積極的な活動をしております。
平成23年3月11日、東日本大震災による大津波に全てを飲み込まれる被害に遭いながらも、地元釜石市の支援者を始め全国の支援者・支援団体より援助を受け、同年5月より再起を図り同年7月に復活を果たし活動を再開。現在も尚一歩一歩復興へと向けた活動を展開しております」

とのことです。



本来は祭の際にトラックの荷台に太鼓を並べて、船のように揺らしながら流して歩く祭り太鼓でした。

画像は2015年の唐丹桜祭です。

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桜舞太鼓は釜石市の唐丹町を代表する芸能集団として世間に認識されたので、これからの活動に益々期待するものです。

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年々意欲的にレパートリーを増やしてきているようですので、これからも楽しみです。
とともに、いつか本郷の桜並木の下で桜舞太鼓を見たいな。

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動画でどうぞ。

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2017.08.17 |

2017.08.16 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリシシ踊り

臼澤鹿子踊@第七回三陸海の盆

さて本日は、第七回三陸海の盆から臼澤鹿子踊です。

由来について「大槌の郷土芸能」より引用

「臼澤鹿子踊りの発祥は、現在の茨城、千葉近辺とされ、古くから農漁民によつて豊作豊漁、子孫繁栄、神仏礼拝など、生活に根ざした崇拝や娯楽として舞われていたものが原形とされている。
大槌への伝来は、1600年代、寛永の頃、当時は俵物と呼ばれた海産物の交易のため房州方面から出入りしていた船乗り達により伝えられたものである。
そのために当時は「房州踊り」と呼ばれ、主に時々の娯楽に庭踊りとして数十年にわたり継承された後、元禄14年1日8月14日、一の渡に鎮座していた小鎚神社への鰐口奉納を祝い、境内で儀式を正して舞つたのが小鎚神社での舞初めであつたとされている。この鰐口は現在も、小鎚神社の分社として祀られている臼澤の社に現存している。
この頃から発祥地と同様に神前での祈願、礼拝踊りが定着していったが踊り手法はまだ完成されたものではなく、更に後年、天明の頃、小鎚在の住人が諸国遍歴のおり、鹿島地方で偶然「房州踊り」に出会い、見覚えのある所作に加え、勇壮にして野趣豊かな踊りに魅せられ、そのまま長期間逗留し、舞、笛、太鼓を習い覚えて帰郷し未完成であつた鹿子踊りを完成させたと伝えられている。
また「しし踊り」と呼称されるようになつたのもこの時期以降であり、親子兄弟友達が仲良く踊るという意味から「鹿子踊り」と称し現在に継承されている。」

ということです。



思えば三陸海の盆も第1回はこの臼澤鹿子踊さんの伝承館のそばにある避難所の広場がスタートでした。

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ところで、幕踊系の獅子踊りの頭には、様々な種類の「たてもの」と呼ぶ飾りがあり、これにはそれぞれの地名や屋号、あるいは呪術的な象徴等が付けられます。

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また、三陸沿岸や遠野の獅子踊では、獅子に相対するものとして刀振り(刀掛け)がつく。
これはかつては少年の役ということでしたが、これが伝承元の房州(千葉県)周辺の羯鼓舞では女の子がササラや長刀、鈴等を持って獅子とともに踊るようです。
刀を振るほうが邪気を祓う感じがするし、神楽との習合も想起されます。

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見せ場の雌獅子狂い 激しいです

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動画でどうぞ。


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2017.08.16 |

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祭・・・それは祈り、畏れ、そして縋り付くばかりの信仰、神人共生の歓びの象徴。さて、明日のエネルギーの糧を求めに彷徨おう。

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