2018.07.21 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ神楽

達古袋神楽 田村二代 @ 第41回みちのく神楽大会

さて本日は第41回みちのく神楽大会から準優勝の達古袋神楽さんで田村二代です。

その前に、達古袋神楽さんの由来について定本より

「明治二年の火災で記録を失ったので資料はないが伝える所によれば、八幡神社は田村麻呂公の勧請といい、康平五年(一○六二)八月一五日再建の棟札もある。
八幡山常学院は、京都本山派の相模坊が、文明一○年(一四七八)開設し、古くから八幡神社の奉納神楽として法印神楽が舞われて来た。
なお弘化年代(一八四四)に神楽も盛んになり、明治以降には、胆沢地方、宮城県北、栗原郡、玉造郡等にも伝えられた。
明治以前は常学院が宮元となり指導に当ったが、以降の歴代師匠は、明治一一年小野寺伊三郎、明治二○年阿部徳太郎、明治二五年小岩勝蔵、明治三○年小岩利右エ門、小岩彦三郎、大正九年~昭和三八年まで阿部長治、以降阿部孝が指導に当り後継者の養成に当った。」

とあります。現在の代表は小岩恭一さんです。



南部神楽の田村モノは奥浄瑠璃の「田村三代記」からの台本とみられているが、その「田村三代記」も御伽草子の「鈴鹿の草子」や古浄瑠璃の「坂上田村丸誕生記」などの影響を受けているという。
これらは室町期の成立とされ、奥浄瑠璃はその後の江戸時代に入って仙台領内に根付いて盲人の門付芸として大衆に愛された。

その田村三代記を三人の主人公ごとに一段ずつに語りモノと同形式で神談議本を創生してできたのが、田村一代(利春)、田村二代(利光)、田村三代(利仁)です。


幕出し  〽 センヤー 利光はヨー 加茂川さしてぞ急ぐなりホー 急ぐなりホー

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その田村二代利光です。
勅命で山城国の今瀬が淵に住む悪龍退治に、供の霞の源太と海老名源八を連れ、神通の鏑矢を携えて出陣します。

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霞の源太です

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海老名源八です

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今瀬が淵には悪龍がいて、恐ろしい形相で利光らを威嚇します

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供の海老名源八が遂に悪霊を討ち止めます。

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晴れて退治を成し遂げて、千代の御神楽宮くずしです。

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2018.07.21 |

2018.07.20 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ神楽

館下神楽 一ノ谷敦盛首取りの場 @ 第41回みちのく神楽大会

毎日毎日異常な暑さが続く今日このごろですが、熱中症対策に南部神楽で暑さを吹き飛ばしましょう!

ってな訳で、本日からは7月15日に宮城県栗原市築館城生野の旧富野小学校体育館で開催された第41回みちのく神楽大会の様子をリポートしていきます。

とりあえず神楽大会なので審査結果を

優勝 白浜神楽「宝剣納めから盗み取りの場」
2位 栗原神楽「義経・涙の腰越状」
3位 達古袋神楽「田村二代」
奨励賞 鶯沢神楽「敦盛・玉織姫別れの場」
築館神楽保存研究会賞 嵯峨立神楽「地神四代」

個人賞 舞の部 白浜神楽 阿部良
    声の部 栗原神楽 佐藤敬
    太鼓の部 鶯沢神楽 高橋正嗣
 
おめでとうございました!



ということで、トップバッターは築館薬師のお膝元、館下神楽さんで一ノ谷敦盛首取りの場です。

その前に館下神楽さんの由来について

「昭和五三年四月、田中安雄が庭元となり神楽愛好者数人が、志波姫の刈敷神楽佐藤典雄師匠の指導を受け、舘下神楽を創設した。刈敷神楽は、栗駒町栗原神楽の佐藤正吉師匠の指導により復活したという。
初代庭元田中安雄、二代目は曽根英寿である。
保持する演目で代表的なのは御所の五郎丸陣屋巡りの場、法童丸庭園の場、安倍保名一代記 等となっています。」

ということですが、現在の代表者は柳澤良夫さんです。


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演目について

「平敦盛 花の16歳、一ノ谷の戦いに敗れ四国屋島に向かう途中、青葉の苗と家宝の巻物を忘れ、取りに戻り、その間に味方の舟に乗り遅れてしまう。
そこに源氏の武将熊谷直実に呼び止められ戦うが、熊谷に組み伏せられてしまう。
熊谷は敦盛と名を聞き、我子小次郎直家と同世代、父の平常盛公への思いで余りにも不憫と思い逃し助けてやるが

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源氏方の平山判官大将に見つかり平家の公達敦盛の首を取らねば、汝親子の首を討取るなりと詰問せらる。

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致し方なく熊谷は敦盛公を再び呼び戻し首請いをするのである。

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しかし熊谷直実は敦盛公が、かつて自分が仕えた平経盛公の子であり、我が子直家と同じ歳であるということが脳裏をかすめ、直実は首を討てない。
逆に敦盛公に「情もないぞよ熊谷殿、我細首討ち取れんなら自ら―人にて自害なす」と言われ、泣く泣く首を取る場面であります。

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敦盛公の首級を携えて、平山判官の首検分を終えた熊谷は敦盛を手厚く葬ると出家して法然上人のもとで蓮生坊となります。

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2018.07.20 |

2018.07.19 | Comments(1) | Trackback(0) | カテゴリ神楽

笹流加賀野神楽 東下り @ 第14回登米市民俗芸能大会

さて本日は、第14回登米市民俗芸能大会から大トリで笹流加賀野神楽さんで東下りです。

加賀野神楽さんの由来について

「笹流神楽は、志波姫町出身の南部神楽師・鹿野吉三郎が興した流派で、現在、志波姫に大平神楽として伝承されています。
明治43年(1910)、鹿野吉三郎を師匠に招き中田町石森野元の千葉源吾宅において修練を積み、「野元神楽」として始めたのが「加賀野神楽」の前身で昭和20年(1945)項まで盛んに演じられましたが、戦後は高度経済成長による社会情勢の変化や後継者不足のため行われなくなりました。
野元神楽を伝承していた中田町宝江新井田の熊谷孝翁が大正6年(1917)頃から新井田地区の人たちに教え「笹流新井田神楽」を興しています。
昭和53年(1978)11月、長らく途絶えていたこの神楽を後世に残そうと加賀野地区の青年たちが中心となって同系統の南部神楽である「新井田神楽」から手ほどきを受け、「加賀野神楽」として復活し、その後は「なかだの秋まつり」をはじめ、各種イベントや大会に出演し、現在、若い後継者も育っています。」

ということですが、この日の舞手も若者中心で頑張っていました。



さて演目は牛若丸の東下りなのですが、一般的な東下りとは多少筋立てが異なっています。

牛若丸です
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牛若丸が鞍馬山を降りて、金売吉次の手引きで奥州平泉の藤原秀衡のもとへと向かいます。

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その途上で常陸の国、足立左衛門宅に立ち寄った際に牛若丸とともに打倒平家に立ち上がるよう呼びかけます。

足立左衛門です
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もとより足立左衛門は、牛若丸の父源義朝の家臣であったので、ともに加担するかと思いきや足立左衛門は平家の勢力顕著な今は立たずと答えたため牛若丸が激怒して追い払います。

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平家方にこのことが知れては先行き御番所での咎めがあるならんと、先の平泉までは山道を行く覚悟で出立するのでした。

もっとも、足立左衛門は後に源頼朝に従って勲功をあげて領土を安堵されています。現在の埼玉県大宮市周辺ということです。

大変珍しい演目を見せていただきました。この神楽本は新井田神楽からということです。

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2018.07.19 |

2018.07.18 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ神楽

嵯峨立神楽 笹結@ 第14回登米市民俗芸能大会

さて本日は、第14回登米市民俗芸能大会から嵯峨立神楽さんで笹結です。

その前に、嵯峨立神楽さんの由来について

「嵯峨立神楽は、修験道賀多羽流と称し弘化年間(1844~ 48)嵯峨立普慶院第二十四世佛心得宗大和尚により伝承されたと言われていますが、中田町上沼八幡山にある「上沼加茂流法印神楽」の由来書には、江戸時代中期、中田町内にある六ヶ院の法印たちにより神楽を執行し、文化・文政の頃には、東和町錦織や嵯峨立の法印も加わり十三ヶ院で神楽を演じていたとの記述があり、現存する古い神楽本には上沼や浅部の法印神楽と同じ演目が残されています。
明治初年、神仏分離令により修験宗が解体され、法印神楽の継続が困難となり、明治初期に当時流行していた南部神楽を取り入れ変容したものと思われます。
他の南部神楽では決して演じることのない法印神楽のみに伝わる「笹結」や「宇賀玉」などの演日が嵯峨立神楽には伝承されており、法印神楽の芸風を色濃く残したきわめて貴重な南部神楽となっています。」
昭和43年に保存会を設立し、平成17年に登米市無形文化財に指定されています。

保持する演目としては、法印神楽系統のものが、神拝、宮静、後矢、普照、注連切、初矢、魔王除、六三閉敗、龍天、四天、生束、陰陽法眼、叢雲、二の矢、神宝、橋引、萬歳楽、笹結、岩戸、湯父、湯母、蕨折、大散供、荒散供、抑子、鬼門、荒神、葛木、翁男女、弓劔、大乗上。
南部神楽系が、田村三代、松浦長者、歌津長者、膳舞、落瀬川、地神三代、地神四代、水神明神、三宝荒神、義経東下り、一の谷合戦、屋島合戦、安倍保名、御鏡納 等です。現在演じることのできる神代神楽は数番ということです。

現在の代表は千葉和広さんです。



最初にツケ(天津神)が出て、天地開闢の言われと伊弉諾伊弉冊の国産みの話を述べる。
そして、国造りに禍をなすという五鬼大神を討ち取るものはいないかと、神を呼び寄せる。

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それに応じた崇得王が登場し、たちまちのうちに五鬼大神を退治なさんと出陣します。

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続いて五鬼大神が現れて荒々しく戦いの場面となります

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神楽舞台で演じられる場合は、二人が舞台から降りて客席の間を格闘しつつ巡るということになるのですが、時間制限のあるステージ発表でしたので、この日はステージ上のみでの乱闘とあいなりましたが、迫力ある責めの場面です。

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そして、五鬼大神を討ち取った後は、法印神楽の所作を彷彿とさせる踏み足で舞い納めます。

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2018.07.18 |

2018.07.17 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ神楽

上沼加茂流法印神楽 塵取 @ 第14回登米市民俗芸能大会

さて本日は、第14回登米市民俗芸能大会から上沼加茂流法印神楽さんで塵取(ちりとり)です。

先に掲載した浅部法印神楽とともに、流神楽と称される異伝の法印神楽を伝承する貴重な神楽団体です。

由来について


「法印神楽は、仙台藩の北部(現岩手県南地域)に発祥したとみられ、大別すると二流派あり、一つは、三陸沿岸の気仙沼市や石巻市に広く分布する「浜神楽」と呼ばれる流派と、もう一つは、室町時代の康暦年間(1379~ 1381)瀧澤道胤から岩手県東磐井郡藤沢町西口(現一関市)にあつた不動院に伝えられた流派で「流神楽」と称される法印神楽があります。
上沼法印神楽は「流神楽」と呼ばれる神楽で、上沼八幡神社の所伝によると岩手県東磐井地方に発したとみられ、藤沢町西口から上沼八幡神社に伝承され、その後、享和年間(1801~ 1803)京都賀茂出身で東叡山(上野寛永寺)の楽人・峻學が東北地方巡視の折、上沼妙覚院 (白旗家)に滞在したとき、種々の神楽を伝承したのが「加茂流」と言い伝えられています。

江戸時代中期には、妙覺院を中心とした六カ院
旧上沼村妙覺院
旧桜場村八幡寺(清水家)
旧新井田村一乗院(新井家)
旧黒沼村黒沼寺(黒田家)
旧水越村長谷寺(春日家)
旧浅邊村三壽院(芳賀家)
の修験集団により神楽が演じられ、後年、神楽組に加わる法印も増え、往時は十三カ院を擁するに至り、
幕末まで盛んに行われてきました。

しかし、明治初年(1868)の神仏分離令や明治5年(1872)の修験道廃止令の発令に伴い修験院が解体され、法印たちも減少の一途を辿り、明治末年には神楽が演じられなくなりました。
こうした状況を憂慮した上沼、櫻庭、新井田、黒沼の法印達が中心となり神楽を再興させるため資本を拠出して、大正5年(1916)8月、仏式に傾いた神楽手続を神式に改め、表神楽十五番・裏神楽十五番・秘伝神楽三番併せて「三十三番」に組み立て、上沼八幡社の氏子に神楽を伝え現在に至っています。
上沼八幡神社に伝わる神楽本には
「修験道神楽抄〔文政4年(1821)〕」、「緒言(神楽三十三番手続)〔大正5年(1916)頃」、「加茂茂流神楽太鼓唱歌(江戸時代後期)」などのほか、大乗飾り(舞台飾り)を表した「神楽舞殿荘厳(1790年頃)」があり、また、最近発見された秘伝神楽を表した「陰陽寅巻深秘」の奥書には、寛永3年(1626)に記されたものを天明元年(1781)に書き改めたとあり、この神楽の起源は寛永年間(1624~ 1644)まで遡るものと思われます。
法印神楽の基本となる足踏みや手印などは、呪法に基づく型で極めて複雑な多くの様式を持ち、厳しい修錬を要します。
胴取は締太鼓の片面を打ちながら「神歌」を歌い、舞人は仮面をつけたまま「神談議」(かんなぎ)というセリフを声高に唱えることにより神話の筋立てが展開されて行きます。」
とあります。平成29年に宮城県指定無形民俗文化財になっております。

現在の代表は小野寺俊彦さんです。



演目の内容は、天照大御神が天の岩戸に隠れると日本国が暗闇に覆われます。そこへ魔戯等(マギラ)が出現して様々な悪事をします。そこで天之安男命が箒でもって討ち祓い鎮めるというものです。
石見神楽に塵輪という演目があり、そちらは新羅の国から攻め寄せた賊軍を仲哀天皇が弓で討ち取った話ですが、なんとなく共通項が見いだせます。

天之安男命が竹箒を持って登場です。青面でかなり厳しい出で立ちです。
尚、浅部法印神楽ではこれを天児屋根命としています。

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そこへ魔戯等(まぎら)が現れ、文字通おり悪戯をなします。

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魔戯等は、他の法印神楽と同様に悪鬼でありながら道化役的な要素もあり、観客を楽しませてくれます。

ともかく上沼法印神楽は、面も装束もかなり時代を感じさせる意匠で相当古いものと思います。

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竹箒で悪鬼を掃き出すことから塵取ということなのかもしれませんが、とにかく四方を祓い清める舞ということです。

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全ての魔戯等を退散させて幕入りとなります。

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2018.07.17 |

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祭・・・それは祈り、畏れ、そして縋り付くばかりの信仰、神人共生の歓びの象徴。さて、明日のエネルギーの糧を求めに彷徨おう。

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