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2021.03.08 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ祭り

狼ヶ志田神楽「宝剣納」@2021胆沢郷土芸能まつり

さて本日は、2021年3月7日に行なわれた胆沢郷土芸能まつりから狼ヶ志田神楽で宝剣納です。

その前に狼ヶ志田神楽さんの由来について定本より

「狼ヶ志田神楽は、文久元年神楽の祖、菅原甚太郎、菅原新右エ門、菅原今朝吉、小野寺長蔵等が、小山、中沢神楽の本庄板太郎より山伏神楽を伝授された。
明治二十五年十一月、菅原甚太郎が上昼沢佐藤家を通して達古袋と縁組をしたことから、西磐井郡萩荘村達古袋阿部徳太郎、小岩彦三郎両師匠より達古袋神楽を伝授された。
達古袋神楽は、達古袋に永住した羽黒山系山伏一七代元道常学院相模坊が指導したと言われる。
大正五年二の台、養ヶ森、大正八年恩俗、衣川雲南田等に狼ヶ志田神楽を伝授している。
明治二五年初代庭元菅原甚太郎より昭和四四年九代庭元青沼松男に引継がれている。」

現在の代表は高橋先雄さんです。



演目の方は、宝剣納めから奪い取りまでの内容です。
素戔嗚尊が熱田神宮へ天叢雲の剣を奉納します。

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素戔嗚尊が宝剣を納めて幕に入ると、次は磐長姫の出掛かりですが、ここでは扇を雲張りに使います。
幕出しは「せんやあ やまのはぁ やまのはぁ いよさぁ いよさぁ」

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ジンツツダンノ ジンツツダン 山の葉舞です。 静かな中にも妖気が漂う舞になっていきます。

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宝剣の前で蛇面に変わると、悪鬼の激しくおどろおどろしい舞に変わる。
これは、鬼面を被っているが人間の禍々しい本性をも表わしている。

宝剣を奪い取った悪鬼は自らの住処へと逃げ飛び帰る

〽 あら嬉しやな 年来念をかけたる宝剣 我が手に入ること嬉しやな
    これより人目に止まらぬよう 雲を霞と逃げ延び申さんやのう

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2021.03.08 |

2021.03.07 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ神楽

大森神楽「牛若丸 宝蔵破り」@2021第1回.奥州市郷土芸能祭

さて本日は、2月28日に前沢ふれあいセンターで開催された第1回.奥州市郷土芸能祭から大森神楽で牛若丸宝蔵破りです。

その前に大森神楽さんの由来について

「大森神楽は昭和45年7月、当時の衣川村立衣川小学校大森分校教諭の佐々木久雄(直木賞作家、三好京三)氏と当時衣川村の教育長で大原神楽の師匠、小坂盛雄氏が中心となり、分校の児童に神楽を伝授したのが始まりである。その後学校教育と関わりあいながら活動し、児童全員に踊り伝えられてきた。平成10年3月に大森分校が閉校になり、保存会としてスタートした」

とあります。現在の代表は佐藤吉訓さんです。



最初に牛若丸が出て、源氏再興のために父源義朝が奪われた多神通虎の巻物を取り戻そうと、悪敵鬼一法眼の根拠地四国は熊山城へと急ぎます。

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熊山城主に潜入するため使用人になりすまし、鬼一法眼の娘皆鶴姫に源氏再興がかなったら妻として迎えに来ると口説きます。
そして皆鶴姫は、ついに巻物のありかを教えてしまいます。

鬼一法眼の留守中に宝蔵の宝箱を見つけ出し、巻物を捜して箱の中身を掴んでは投げ、掴んでは投げます!

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そして多神通虎の巻物を見つけ出し、遂には秘伝の術を会得します。

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そこへ帰って来た鬼一法眼が、己の秘術の巻物が無いのに怒り、牛若丸を追います。

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そして、牛若丸と鬼一法眼の法力の力比べとなりますが、多神通虎の巻物を取った牛若丸は、法術を駆使して鬼一法眼を翻弄します。そして遂には鬼一法眼を撃って何処ともなく隠れます。
後に残った鬼一法眼は、己の不明を恨むとともに、不始末をしでかした妹の皆鶴姫を処刑した上でうつぼ船にのせて北の海へ流したということです。

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2021.03.07 |

2021.03.06 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ田植踊り

上幅庭田植踊「入り込み、朝はか 他」@2021第1回.奥州市郷土芸能祭

さて本日は、2月28日に前沢ふれあいセンターで開催された第1回.奥州市郷土芸能祭から上幅庭田植踊です。

由来について水沢市教育委員会篇「無形文化財保存記録集 2 」から抜粋

松本市治氏からの間き取りによれば、「語り伝えでは、今から七三〇年前(弘長二年)この庭田植踊を掃部長者に見せたところが、ここの『田植つこ』は他所の田植っこと違って、「めでためでた」で踊って入って来るのが大変良いということで、一番の折紙をつけられ、それを誇りにして今迄踊り伝え、継承されてきたということです。ただ、どこから入ってきて、誰が始めたかなどということはわからない。高山掃部長者は、何せここの地元だから、それにくっ付けてるんでしょう」ということで、伝書、文書類は一切残っていない。
ということです。

伝承は昭和16年に男性だけの踊組が一度絶えて、昭和31年に上幅の女性たちが松本初太郎氏と渡辺勝治郎氏の指導で復活し、その後しばらく続いたが平成18年から3年の間途絶えた。
そして、平成21年に現代表の松本寛章さんが20~30代の同級生ら十数人に参加を呼び掛け、再度復活させたということです。

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この日の演目は、朝はか、ひるしひき、つんばくら、米搗き、お蔵納め、中入(苗ならし)、入れ違い、鎌倉、夕暮れでしたが、他に門付けで庭入りする時に門口での寄せ囃、おかんざき等があり、他の胆沢の田植踊組と同様のものがある。

田植踊の進行役は杁摺と弥十郎の二人

杁摺の口上に従って弥十郎が次の踊りの曲目を知らせる

杁摺   〽 植えてくれまいかや弥十郎
弥十郎 〽 朝はかソーリャー

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踊り手 羯鼓(太鼓)

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踊り手 奴

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そして、演目がお蔵納めまで終わると中入になる。

近年では他の田植踊組ではこの余興的な中入りを省略していますが、上幅庭田植踊ではこの需要な中入りもしっかりと取り組んでいます。

まずは口上から

〽 トザイ東西 東西と言いまして 
  皆様方のお声を留めまするのもお恥ずかしながら
  一寸おしくみなされまし
  サーテ四海波静かにて国も治まる御代とかや
  弓は袋に刀は鞘に納まるとか
  千秋千代なるのかみの御政をただしければ
  浜に下りて真砂の数
  山に登りて木の数草の数
  もったいなくも天にのぼりて星の数
  数々はござりますれども
  此れより田舎の若者を四五人取り集めましておどけ狂言をあいつとめまする
  おどけ狂言芸題の儀は舞漫才、手踊くらいのものをご評判に相かけ申しまする
  舞漫才も首尾よくゆけばお慰み
  悪しきところは袖や袂に包入れよき
  よしの御評判一重に御願いあげたーてまつる

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余興としては数種類の萬歳等があるが、最初に「苗代ならし」が行われる。
田作業のまねごとで、苗代ならしから種蒔まで演じられ、農夫の女房が出て産気づいて退場までとなる。
豊作の予祝芸能として演じられている。
正月過ぎに家ごとに舞い込んで田植踊をする意味は、その年の豊年満作を願うことであり、神様によってそれを約束することを願うことである。

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その後に手踊り、これは胆沢地方に広く伝播するザッツァカ踊りの組踊で、往時だれば誰でも踊れたもんだす。

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2021.03.06 |

2021.03.05 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ田植踊り

白山こども百姓踊り@2021第1回.奥州市郷土芸能祭

さて本日は、2月28日に前沢ふれあいセンターで開催された第1回.奥州市郷土芸能祭から白山こども百姓踊りです。

白山こども百姓踊りの由来について

「水沢農業高校の民芸舞踊部に伝わる「百姓踊り」を基に白山小学校なりにアレンジしたものです。田植えの準備から収穫までの作業の様子を踊りで表現します。この踊りは農家の人が実りの秋になり、沢山の収穫を感謝し神社に奉納した踊りが始まりだそうです。」

ということです。



今の子どもたちどころか青年、壮年ことによると老年までも従来の田事(稲作農事)を体験せずにいるかもしれません。
それでも、往時の農作業の様子を舞踊化した田植踊は貴重です。

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ともあれ、この田植踊は旧白山小学校で花巻市東和町立石の百姓踊りを取り入れて前沢白山地域の学習に役立てたことに始まります。その白山小学校は既に統合廃校になっているものの、地域の人々の熱意で継承活動が行なわれている。

この熱意が地元の郷土芸能の継承を支える大きな力となっていると思います。

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2021.03.05 |

2021.03.04 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ剣舞

川西大念仏剣舞「三人怒者、押込」@2021第1回.奥州市郷土芸能祭

さて本日は、2月28日に前沢ふれあいセンターで開催された第1回.奥州市郷土芸能祭から川西大念仏剣舞で三人怒者と押込(オッコミ)です。


川西念仏剣舞の由来についてです。

「藤原清衡公が江刺の豊田館から衣川を越えて平泉に入り柳の御所造営していたころ、夜な夜な亡魂が物の怪となって世の中を荒しまわり、人々を恐れおののかせ惑わせました。清衡公は、これはどういうことかと、中尊寺のお坊様に相談しました。お坊様は「これは、過ぐる前九年・後三年の合戦において非業の最後を遂げた人たちが、成仏しきれずこの世をさまよっているものです。刀や弓で収められるものではなく、お釈迦様のお力で鎮めるしかありません」と語りました。清衡公は早速、山王権現に七日七夜のおこもりをしました。満願の日に一匹の猿公が現れ、荒れ狂う亡魂の中に混じり、猫間が淵(柳の御所と無量光院の間)に沈めていきました。御仏が猿の姿に身を変えて亡魂たちを浄土へと導いたのだと気づいた清衡公は、このことに感激し、家来の佐野弥左衛門に命じて、この様子を模し、創らせたのが川西大念仏剣舞です。なお、剣舞を創った佐野弥左衛門は、金色堂前の一角に葬られ、その墓は現在も剣舞塚として語り継がれています。」

ということです。

現在の代表は伊藤敏男さんです。



大正14年に平泉村の小野寺亀造が発行した「平泉剣ばい」によると佐野剣舞が平泉剣舞の原初としているが、佐野剣舞がどのようなものであったかは不明。その佐野剣舞の流れを組むのが川西大念仏剣舞とある。

舞手は本来は十三仏に因んで十三人であったというが、現在は八人で踊る。
その構成は、鳥毛の采に阿吽のイカモノ面を付けた六人(正足、正足クズシ、押込、押込クズシ、矢車、魔王)であり、これらのイカモノが一人で舞う演目名も押込などの名前がついている。
それに鳥兜に女面を付けたワカドと、猿面を付けたサルコである。

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三人怒者は、一度念仏の効力で済度された亡者が再び現れて荒れ狂う様を表している。

山伏神楽の勢剣や三宝荒神のように三人で刀潜りをします。
これも亡魂が荒れ狂い、跳ね踊るさまを表しているという。

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続いて一人舞の押込。

押込の所作には、野獣のような少し道化けた所作が観られるが、これについて小形信夫は「念仏剣舞」の中で壬生大念仏狂言の人形振りに相似しているという。

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川西大念仏剣舞には、一人舞の演目がいつくかあるが、それらは大念仏舞のクルイということである。
正足とオッコミがあるが、前者は吽面、後者は阿面をつける。
双方ともにクズシの踊りがある他、四方を切る所作があり神楽の影響が見て取れる。

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2021.03.04 |

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Author:祭りの追っかけ
祭・・・それは祈り、畏れ、そして縋り付くばかりの信仰、神人共生の歓びの象徴。さて、明日のエネルギーの糧を求めに彷徨おう。

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