2017.10.20 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ神楽

栗原神楽 熊谷直実、平敦盛首取りの場 @ 第40回平野神社神楽大会

さて本日は、第40回平野神社奉納神楽大会から栗原神楽さんで 熊谷直実、平敦盛首取りの場です。
この日栗原神楽さんは昨年に続いて連続優勝に輝きました。

栗原神楽さんの由来については定本より

「明治一二年三月三一日、栗原悦之助が神道事務局に神楽の届出し承認を得た文書がある。
岩手県萩荘村市野々の自鏡山山伏神楽の指導を得たといわれている。
大正時代に復活、中断した。昭和五年、栗原の佐藤正吉が指導し再興する。その弟子代表の佐藤左吉に引継がれ現在に至っている。初代庭元栗原悦之助が中断後を再興した。」とあります。

現在の代表者は佐藤敬さんです。



源氏方の武将熊谷次郎直実は一の谷の合戦で平家方の若武者平敦盛を捕らえますが、恩を受けた平経盛公の御曹司と知り早々逃げよと離します。

IMG_8100_20171020184438bb9.jpg

その様子を、源氏方の陣地から見ていた平山季重が、源氏平家に二重心あると見たり、敦盛討たずば熊谷父子ともに討ち取らんと迫ります。

IMG_8105.jpg

致し方なく熊谷は敦盛公を再び呼び戻し首請いをするのである。

敦盛は和歌を詠じつつ現れます

〽 ほのぼのと 明石が浦の朝霧に 島影ゆく  舟をしぞ思ふ          
  駒を進めし後山 ただ波もろともに 戻れ戻れとの 声がする 

IMG_8108_201710201844437fb.jpg

熊谷が敦盛に思い残すことは無いかと問うと、妻と身ごもっている子が気がかりなので、愛用の青葉の笛を渡してほしいと頼みます。
観念した敦盛が彌陀の浄土に座れるようにと、四方に祈ります。
そして泣く泣く熊谷次郎直実が敦盛の首を落とします。

IMG_8112_20171020184444978.jpg

直実は、致し方なく平山判官に敦盛の首を差し出し、逆心無いことの証を立てます。

しかるに敦盛の首を抱えながら、自ら出家してその菩提を弔うことを誓うのでした。

IMG_8121.jpg

動画でどうぞ。

テーマ:伝統芸能 - ジャンル:学問・文化・芸術

2017.10.20 |

2017.10.19 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ神楽

富沢神楽 法童丸母子対面の場 @ 第40回平野神社神楽大会

さて本日は、第40回平野神社奉納神楽大会から富沢神楽さんで 法童丸母子対面の場です。

その前に、富沢神楽さんの由来については定本から

「明治二○年頃、蕎麦沢の佐藤林之丞が庭元となり、西磐井郡金沢村飯倉神楽の小野寺忠七師匠(飯倉から真滝小林に婿養子に来た人)を招き、部落の若者達に神楽の指導を行ない富沢神楽を創設した。
明治時代、初期の人達が二期、三期と舞人の養成を図ったが大正初期に絶えた。
昭和三年、佐藤民治が発起人となり佐藤甚之助が庭元となり、飯倉神楽より高橋衛師匠を招き佐藤民治と共に神楽の指導を行ない、富沢神楽を再興した。
初代庭元佐藤林之丞、二代三代佐藤甚之助、四代佐藤利男、五代千葉清人、六代佐藤登である。」

とありますが、現代の代表者は佐藤徹さんです。



さて、演目は心ならずも敦盛を討った熊谷次郎直実が敦盛を葬った後出家して蓮生坊と名乗った。
蓮生坊は法然上人の弟子となり、加茂の明神下り松の下で拾った敦盛の子法童丸を七歳になるまで育て上げた。

ある日、法童丸があまりに母を恋しがるので母親を探しに加茂の明神に行き、参拝する人々に呼びかけます。

IMG_8086_2017101920355326c.jpg

そこへ玉織姫が進み出て名乗りをあげます。

IMG_8090.jpg

めでたく対面となったが、母玉織姫は法童丸の実の父親は蓮生坊に討たれたのだと告げると法童丸は驚き悩んだ末に、親の仇を討ちにかかります。

IMG_8092.jpg

蓮生坊に刀を向けた刹那、扇で受け止め法童丸を説諭せんと畳み掛けるように呼びかけます。

IMG_8096.jpg

法然上人にも諭されて、父敦盛の墓所に行き、手厚く回向をするべく出立するのでした。

IMG_8098.jpg

動画でどうぞ。

テーマ:伝統芸能 - ジャンル:学問・文化・芸術

2017.10.19 |

2017.10.18 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ神楽

阿久戸神楽 御所の五郎丸陣屋巡り @ 第40回平野神社神楽大会

さて本日は、第40回平野神社奉納神楽大会から阿久戸神楽さんで 御所の五郎丸陣屋巡りです。

その前に阿久戸神楽さんの由来について

「明治中期、佐藤宗治が庭元となり南部神楽系城生野神楽の小野寺直師匠より神楽を伝授され、堀口神楽を創設した。戦時中一時中断したが、昭和四九年一二月有志により復活し、阿久戸神楽と改称した。
初代庭元佐藤宗治、現在の庭元佐藤錦は五代目である。」

とあります。現在の代表は村山栄利さんです。



建久四年(1193年)、源頼朝が催す富士の巻狩に実父・河津三郎の仇、工藤祐経も来ることを知り、曽我十郎祐成、五郎時致の兄弟は仇討ちを決意します。

IMG_8067_20171018201233e85.jpg

しかし、「一の木戸」「二の木戸」は無事に通り超えたが、「三の木戸」は祐経の重臣と宮形八郎重房が警固しています。
宮形八郎重房の厳しい改めで通れず、難渋します。

IMG_8073_2017101820123530b.jpg

しかし、御所の五郎丸の伴廻りに混じって無事に「三の本戸」を通り越え、更に御所の五郎丸より、各陣営の紋所を五郎丸殿に教えられ、仇敵の工藤祐経は庵に木瓜紋と確認します。

IMG_8081.jpg

最後は、ついに討ち入ることができる慶びを御神楽で表し幕入りとなります。

IMG_8083.jpg

動画でどうぞ。

テーマ:伝統芸能 - ジャンル:学問・文化・芸術

2017.10.18 |

2017.10.17 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ神楽

館下神楽 安倍保名 石川悪右衛門二度合戦の場 @ 第40回平野神社神楽大会

さて本日は、第40回平野神社奉納神楽大会から館下神楽さんで安倍保名石川悪右衛門二度合戦の場です。

その前に館下神楽さんの由来について

「昭和五三年四月、田中安雄が庭元となり神楽愛好者数人が、志波姫の刈敷神楽佐藤典雄師匠の指導を受け、舘下神楽を創設した。刈敷神楽は、栗駒町栗原神楽の佐藤正吉師匠の指導により復活したという。
初代庭元田中安雄、二代目は曽根英寿である。」

保持する演目で代表的なのは御所の五郎丸陣屋巡りの場、法童丸庭園の場、安倍保名一代記 等となっています。

館下神楽は築館町の団体で現在の代表者は柳澤良夫さんです。



演目の筋立てについて当日プログラムより

「泉州信田守楠本の宮正一位稲荷大明神に祈願の安部保名は石川悪右工門との合戦の上からめ捕らわれ危うき一命を正閣庵の住職来盤上人に助けられ、岩尾の滝にて休憩中くずの葉姫の危機を助け縁あってくずの葉の館にて養生していた。
一方石川悪右工門は暗き山中にて踏み迷い一点の灯り火を頼りに一夜の宿を頼んだが断られ止む無く木の根を枕に木の葉を救いに就寝中、保名の家臣石谷の善司早次に見現され、保名くずの葉姫と悪右工門が大合戦となり石川悪右工門を討ち取る場面」

安倍保名です

IMG_8041.jpg

巌の滝で天秤棒を担いで水汲みをする葛の葉が、危うく滝壺に落ちそうになります

IMG_8044_2017101721025326a.jpg

そこへ安倍保名が通りかかり、葛の葉を助けます。
まあ、この時葛の葉は保名に恩返しをするために誘ったという設定ではありますが・・・

IMG_8047.jpg

安倍保名が葛の葉の館に一夜の宿を過ごしていると、そこへ戦の仇の石川悪右衛門が闇に紛れて宿を探してやってきます。
葛の葉に一宿を頼みますが断られます。

IMG_8050_20171017210256c96.jpg

しかたなく野宿をしていると、安倍保名が再度戦に挑みに斬りかかります。

IMG_8053_2017101721025786a.jpg

窮地に立った悪右衛門は自分の領地を呉れてやるから誰か加勢いたせと叫ぶと、家の中から提灯で道を照らした葛の葉と保名が現れて三谷善次と三人で悪右衛門を討ち取りました。

IMG_8058_201710172102598bb.jpg

戦い済んで晴れて館へと戻ります。

IMG_8064.jpg

動画でどうぞ。

テーマ:伝統芸能 - ジャンル:学問・文化・芸術

2017.10.17 |

2017.10.16 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ神楽

嵯峨立神楽 笹結び @第40回平野神社神楽大会

さて本日は、第40回平野神社奉納神楽大会から嵯峨立神楽さんで笹結びです。

嵯峨立神楽さんの由来については次の通り

「嵯峨立神楽は、修験道賀多羽流と称し弘化年間(1844~ 48)嵯峨立普慶院第二十四世佛心得宗大和尚により伝承されたと言われていますが、中田町上沼八幡山にある「上沼加茂流法印神楽」の由来書には、江戸時代中期、中田町内にある六ヶ院の法印たちにより神楽を執行し、文化・文政の頃には、東和町錦織や嵯峨立の法印も加わり十三ヶ院で神楽を演じていたとの記述があり、現存する古い神楽本には上沼や浅部の法印神楽と同じ演目が残されています。
明治初年、神仏分離令により修験宗が解体され、法印神楽の継続が困難となり、明治初期に当時流行していた南部神楽を取り入れ変容したものと思われます。
他の南部神楽では決して演じることのない法印神楽のみに伝わる「笹結び」や「宇賀玉」などの演日が嵯峨立神楽には伝承されており、法印神楽の芸風を色濃く残したきわめて貴重な南部神楽となっています。」

ということです。
現在の代表は千葉和広さんです。



笹結びの筋立ては当日プログラムより
「神代の昔、日本が創生された頃の神話を「古事記」がもとになつている。高天原より海原を指して「フジオイクミノ神」が舞い降りた。フジオイクミノ神はある心配事がありそれを何とかしようとやつてきた。
「伊邪那岐」「伊邪那美」により作られた大八島ケ国の神国(日本)はもともと何もない島国だつたが、動植物をはじめ様々な生命が作られ、そしてそれを治める東西南北の鬼沙門とともに春夏秋冬を定め豊かな国とした。
しかしこの島には善い気とともに悪い気も集まり「五鬼大神」という胴体は一つ、頭が5つある悪鬼神が生まれてきてしまった。
この悪鬼神により神国が滅ばされてしまうことをフジオイクミノ神は心配し悪鬼追討の勇将と呼び名の高い「田中大三四天神徳丸」を呼び寄せて神国へ渡り五鬼大神を討伐するように命じた。四天神徳丸はすぐに神国へ渡り、五鬼大神を激しい戦いの後、討伐した。四天神徳丸は悪鬼の呪いを封じるため、神国の平穏を唱えて去っつていく場面。」

幕上げがあります。法印神楽由来の嵯峨立神楽ですが、南部神楽を踏襲するなかで混交してきたようです。

IMG_8025_20171016204704fd7.jpg

最初にツケ役が出て、天地開闢の言われと伊弉諾伊弉冊の国産みの話を述べる。
そして、国造りに禍をなすという五鬼大神を討ち取るものはいないかと、神を呼び寄せる。

IMG_8027.jpg

それに応じた田中大王が荒々しく登場する。

IMG_8030.jpg

続いて五鬼大神が現れて神戦となるわけだが、

IMG_8032.jpg

本来の笹結びでは舞台を降りて客席の間や、神社境内を走り回っての戦いを演じますが、この日は神楽大会で時間制限もあるので舞台上のみとなりました。

IMG_8034.jpg

最後には五鬼大神を退治し、首を取って幕入りとなる。
流れ神楽の本領発揮といった一幕です。

IMG_8036_2017101620471114a.jpg

動画でどうぞ。

テーマ:伝統芸能 - ジャンル:学問・文化・芸術

2017.10.16 |

«  | ホーム |  »

プロフィール

祭りの追っかけ

Author:祭りの追っかけ
祭・・・それは祈り、畏れ、そして縋り付くばかりの信仰、神人共生の歓びの象徴。さて、明日のエネルギーの糧を求めに彷徨おう。

カレンダー

09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -