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2018.09.22 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ神楽

大森神楽「岩戸開き」@第58回宮城岩手選抜神楽大会

さて本日は、第58回宮城岩手選抜神楽大会から、前年度優勝した大森神楽さんの特別出演演目で岩戸開きです。
舞手は子どもたちです。

その前に大森神楽さんの由来について

「大森神楽は昭和45年7月、当時の衣川村立衣川小学校大森分校教諭の佐々木久雄(直木賞作家、三好京三)氏と当時衣川村の教育長で大原神楽の師匠、小坂盛雄氏が中心となり、分校の児童に神楽を伝授したのが始まりである。その後学校教育と関わりあいながら活動し、児童全員に踊り伝えられてきた。平成10年3月に大森分校が閉校になり、保存会としてスタートした」

とあります。現在の代表は佐藤吉訓さんです。



さて、岩戸開きです。
幕出し唄は

〽 センヤー 天のホー 岩戸を 押し開く センヤー

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初めに天児屋根命が出て翁舞をしずしずと

〽 センヤー 天の岩戸を 押し開く センヤー

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次に天児屋根命の

呼びかけに応じて武甕槌命が出ます。

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次に手力雄命です。荒舞がうまくなったなぁと。

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手力雄命が天の岩戸を開くと、天照皇大神と月読尊が出て世の中が明るくなり、めでたく千代の御神楽となります。

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舞手が装束を改める間に胴取さんこの日二度目の撥車です。大サービスですね。

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子どもたちの完璧な舞です。
大拍手です。

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2018.09.22 |

2018.09.21 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ神楽

赤谷神楽「一の谷首取りの場」@第58回宮城岩手選抜神楽大会

さて本日は、第58回宮城岩手選抜神楽大会から赤谷神楽で一の谷首取りの場です。

その前に、赤谷神楽さんの由来について

「明治二六年、鈴木築吉が庭元となり岩手県西磐井郡花泉町、上油田神楽の佐藤和三郎師匠の指導により、橋向神楽を創設する。
昭和二六年、工藤文市が庭元となり内容の充実を図り、赤谷神楽と改称した。
初代庭元鈴木蕊吉、現在の庭元工藤貞夫は五代目である。」

ということなそうです。現在の代表は小野寺和夫さんです。

胴を取るのは工藤貞夫さんです。




演目は一の谷で平敦盛の首を熊谷次郎直実が討ち取る場面です。

熊谷次郎直実が味方の舟に乗り遅れた若武者平敦盛を見つけて呼び止めます。
戦いになり直実が敦盛を組み伏せるも、我が子と同じ年頃の敦盛を不憫と思い逃します。

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そこへ、同じく早駆けしてきた平山判官秀重に呼び止められ、敵に二心ありと責められます。

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平敦盛が熊谷直実に呼び戻され、熊谷殿ならこの首差し上げましょうと告げます。


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やむなく熊谷次郎直実は涙を飲んで敦盛の首を取らざるを得なくなります。

念仏口説きがかかります

〽 西は西方弥陀如来、東は東方南無三宝、南は南方薬師如来、北は北方八幡大菩薩
   中に立ったる敦盛が極楽浄土に参るように

最後の場面では敦盛の面と采を持って討ち取ったことを表現している。

〽 迷わず成仏いたされよ


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熊谷次郎直実は、泣く泣く平山武者所に平敦盛の首検分をした後に、敦盛公の菩提を弔うために出家します

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2018.09.21 |

2018.09.20 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ神楽

達古袋神楽「田村二代」@第58回宮城岩手選抜神楽大会

さて本日は、第58回宮城岩手選抜神楽大会から達古袋神楽で田村二代です。

その前に、達古袋神楽さんの由来について定本より

「明治二年の火災で記録を失ったので資料はないが伝える所によれば、八幡神社は田村麻呂公の勧請といい、康平五年(一○六二)八月一五日再建の棟札もある。
八幡山常学院は、京都本山派の相模坊が、文明一○年(一四七八)開設し、古くから八幡神社の奉納神楽として法印神楽が舞われて来た。
なお弘化年代(一八四四)に神楽も盛んになり、明治以降には、胆沢地方、宮城県北、栗原郡、玉造郡等にも伝えられた。
明治以前は常学院が宮元となり指導に当ったが、以降の歴代師匠は、明治一一年小野寺伊三郎、明治二○年阿部徳太郎、明治二五年小岩勝蔵、明治三○年小岩利右エ門、小岩彦三郎、大正九年~昭和三八年まで阿部長治、以降阿部孝が指導に当り後継者の養成に当った。」

とあります。現在の代表は小岩恭一さんです。



南部神楽の田村モノは奥浄瑠璃の「田村三代記」からの台本とみられているが、その「田村三代記」も御伽草子の「鈴鹿の草子」や古浄瑠璃の「坂上田村丸誕生記」などの影響を受けているという。
これらは室町期の成立とされ、奥浄瑠璃はその後の江戸時代に入って仙台領内に根付いて盲人の門付芸として大衆に愛された。

その田村三代記を三人の主人公ごとに一段ずつに語りモノと同形式で神談議本を創生してできたのが、田村一代(利春)、田村二代(利光)、田村三代(利仁)である。

幕だし唄は

〽 センや~はー 利光はよー 加茂川さしてぞ急ぐなりホー  急ぐなりホー

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その田村二代利光さんです。
勅命で山城国の今瀬が淵に住む悪龍退治に、供を連れ、神通の鏑矢を携えて出陣します。

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利光が配下の霞の源太と海老名源八を伴って悪龍退治にいく場面です。

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今瀬が淵には悪龍がいて、恐ろしい形相で利光らを威嚇します。
この幕を使った演出は怨霊などにも使われます、昔は本当に怖かったと思います。

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利光が悪龍を狙いますがなかなか仕留めることが出来ません。

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供の海老名源八が遂に悪霊を討ち止めます。

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晴れて退治を成し遂げて、千代の御神楽宮くずしです。

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2018.09.20 |

2018.09.19 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ神楽

川北神楽「河津三郎祐泰最後の場」@第58回宮城岩手選抜神楽大会

さて本日は、第58回宮城岩手選抜神楽大会から川北神楽で河津三郎祐泰最後の場です。

その前に川北神楽さんの由来について

「明治16年に、初代庭元佐藤福男が世話人となり、岩手県西磐井郡萩荘村達古袋神楽の佐藤春吉師匠を招き、部落の若者達に神楽の指導を行い、門出神楽を創設した。
大正初期、一迫町長崎高橋長右エ門師匠の指導を得、現在まで休むこともなく継続されて来た。
その後、昭和41年に一迫町民俗芸能無形文化財の指定を受けたことを契機に川北神楽保存会と名を改め現在に至る。」
現在の代表は佐藤勝さんです。



演目の河津三郎祐泰最期の場は、曽我兄弟物語の冒頭部分の一場面です。

河津三郎祐泰さんです。
鎌倉頼朝公が富士の裾野の巻狩の際に、河津祐親(父)祐清(弟)も出陣した。

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一方工藤左エ門尉祐経は、自分の親が殺され、しかも領地まで奪われた仇敵河津親子を家来の八幡三郎行氏に巻狩の帰路に遠矢にて射止めよと指示する。


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祐泰は数々の獲物を射止め馬上にて帰路の時、赤沢山で待ち伏せしている八幡三郎の遠矢に射られた。

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通りかかった父祐親・弟祐清に支えられ、手当を受けたが急所を撃ちぬかれたがため命を落とすことになります。

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河津三郎祐泰は、今わの際に、最期の願いとして妻子の養育を頼み行きを引き取ったという場面です。
そして、物語は河津三郎の息子の一萬丸と箱王丸(曽我兄弟)の仇討ちの物語へと続いていきます。

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2018.09.19 |

2018.09.18 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ神楽

館下神楽「敦盛、直実合戦の場」@第58回宮城岩手選抜神楽大会

さて本日は、第58回宮城岩手選抜神楽大会から館下神楽で敦盛、直実合戦の場です。


その前に館下神楽さんの由来について

「昭和五三年四月、田中安雄が庭元となり神楽愛好者数人が、志波姫の刈敷神楽佐藤典雄師匠の指導を受け、舘下神楽を創設した。刈敷神楽は、栗駒町栗原神楽の佐藤正吉師匠の指導により復活したという。
初代庭元田中安雄、二代目は曽根英寿である。」

保持する演目で代表的なのは御所の五郎丸陣屋巡りの場、法童丸庭園の場、安倍保名一代記 等となっています。

現在の代表者は柳澤良夫さんです。



頃は元禄元年辰の年、如月七日の早朝、義経はひよどり越えを逆落し、平家の堅城福原成を攻め落としたのであります。
源氏方の武者、日の本一の旗頭、熊谷次郎直実丹治直実は、鎌倉殿の仰せにより平家の落ち武者探しに出向くのであります。
一方、一の谷を追われ四国屋島に落ちてゆく平家軍。
平家の若式者 平敦盛 花の十六歳。
中納言平常盛が二男、無冠の太夫 平教盛は戦いに敗れ、妻玉織の袖を振り払い、四国屋島に向かう途中、先祖代々伝わる家宝の春物と青葉の笛を忘れたことに気づき、取りに戻ります。その間に、味方はすでに船に乗り海上はるかに漕ぎ出していました。


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味方の船に追いつくべく海上に駒を進めた時、源氏方の武将、熊谷次郎丹治直実に見つかり戦いになります。

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太刀のうえではなかなか勝負が着かないため、組んでの勝負で決着をつけようとしたのです。
互いに力を尽くして戦うも、当年とって十六歳の若武者教盛は、ついに熊谷に組み伏されてしまいます。
熊谷が首をはねんとよく見ると、花のような美少年でありました。よく聞くと、自らも仕えたことのある、平経盛公の二男、敦盛と聞き、首を刎ねるか逃すか悩みいります。

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直実は我が子小次郎直家と年回りも同じと不憫に思い、敦盛を助け逃してやることにします。

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2018.09.18 |

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Author:祭りの追っかけ
祭・・・それは祈り、畏れ、そして縋り付くばかりの信仰、神人共生の歓びの象徴。さて、明日のエネルギーの糧を求めに彷徨おう。

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