2023.10.01
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カテゴリ神楽
さて本日は、2023年9月24日に行なわれた長面北野神社例祭から女川法印神楽で四天です。
法印神楽での四天は、イザナギ·イザナミ、二神の舞とされているようです。
日本の国を栄えさせたいと考えて、夫婦で力を合せて色々なものを生み、基本となる自然を割りだして、一年と言う境を定めたことを表し、春夏秋冬の四季分けをし、それぞれを司る神々を物語る。

四天とは
天合命 青面で春、東方を司る
天三下命 赤面で夏、南方を司る
天八百日命 白面で秋、西方を司る
天八下命 黒面で冬、北方を司る
一年365日を春夏秋冬それぞれに分けて物事の指標とした倭民族の信仰が反映された日本独自の解釈による芸能と言える。

最後は太刀五請楽で四方を祓いながら舞い納めます
尚、この四天のあとに、土用(各四季の間の十九日)を定めようと戦いを挑んだ八十萬魂命が活躍する「所望分」に続く演目である。

動画でどうぞ
テーマ:伝統芸能 - ジャンル:学問・文化・芸術
2023.10.01 |
2023.09.30
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カテゴリ神楽
さて本日は、2023年9月24日に行なわれた宮城県石巻市の長面北野神社例祭での神楽奉納についてです。
といっても、この日奉納が行われたのは、石巻市二子の復興団地内にある集会所広場でした。
ここは東日本大震災で被災した市民が臨海部から移転して団地に移住している。
そこに長面の北野神社の宮司も家屋流失により移転して来たことにより、遥拝殿を造営して団地の人々の拠り所として神事をおこなっているということです。
この日は晴天の空に真新しい神楽舞台が映える神楽日和となり、女川法印神楽が昼神楽と夜神楽を奉納しました。
女川法印神楽の由来については東北歴史博物館研究紀要Ⅰより
「旧藩当時から女川飯田の大山祇神社高橋宮司が中心となって、戸倉や十三浜、河北町金谷方面の神職たちと組んで神楽を伝承していたという。現在は7人の地元の人達で保存会を結成して伝承している。胴も笛も心配ないという。時折は志津川の戸倉や雄勝、金谷長面尾崎の組とも交流しているようだ。他の神楽で廃曲となった演目も舞うことができると意欲的である。女川では「叢雲」と「国譲」は演じていないという。なお河北の皿貝へは以前に荒型の舞を指導したことがあるが、現在の舞型は既に女川の型ではなくなっているという。次の祭礼の他年間多い時で15回ほども演舞している。
10月29日 飯田大山祗神社、10月24日大須愛宕神社、10月17日松崎枚岡神社」
ということです。現在の神楽保存会長は佐藤喜美男さんです。

浜の法印神楽の初番は初矢ですが、この日は女川法印神楽で神楽を習っている中学生2人による連舞です。

初矢(しょや)は、伊弉諾・伊弉冊が国産みの後に土の神、水の神に続いて生んだ木の神の舞とされています。
木の神「句句廼馳」の尊の舞で、久久とは草木ががすくすくと伸びる様をいうことから、万物の初めに芽生える貌を表現したものという。

この初矢は浜神楽では本式倭舞三番の次で、最初に必ず舞われるもので、祓い清めの舞といわれている。
尚、この初矢の神は各神楽組で相違があるようですので、参考までに記載します。
雄勝、牡鹿 国常立尊
本吉代々、女川 句句廼馳命
上町、雄勝、寺崎 天御中主尊
ということはおいといて、中学生二人による端正な初矢の舞をご覧楼じてください。

動画でどうぞ
テーマ:伝統芸能 - ジャンル:学問・文化・芸術
2023.09.30 |
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