2017.11.23 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ剣舞

末角笠踊り 初庭 @第45回川井郷土芸能祭

さて本日は、第45回川井郷土芸能祭から末角笠踊りについてです。

旧南部藩領内には神楽や念仏剣舞から派生した芸能が数多く受け継がれてきています。
その中でも、刀や長刀、弓等を持って輪踊りする採物踊りが好まれて、七つ踊り等に取り入れたりしている。

ここ川井地方でも、剣舞や御戸入り、笠踊り、八尺舞等で採物舞が勇壮な形で表現されている。

それと、川井地方の芸能の特徴が太鼓です。

饅頭笠を深々と被り、着流しに袴を履いて、踊りながら太鼓を打ちます。
鹿踊でも、鹿と対になって踊る様はまさに圧巻です。
太鼓だけ見ていても充分に楽しめます。



さて、末角笠踊りは、旧小国村の末角に伝承される盆の芸能です。
由来について

「言い伝えによると、戦から帰ってきた兵士を迎えた踊りとされている。
勇壮な刀や長刀を持った若者に続いて笠をかぶった女性的な踊りの子が続くことから笠踊りと言われている。
混乱と物資不足で戦争前後から途絶えていたが、昭和63年に地域に復活の強い機運が盛り上がり、40年ぶりに再開された。」

ということです。現在の代表者は八重樫仁さんです。

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末角笠踊りは、お盆に大圓寺で踊られる他、賀茂神社の祭りでも奉納されているという。
女の子たちの笠踊りは、そのまま大念仏の供養踊りの態です。
まさに念仏剣舞の流れといえそうです。

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かつては旧小国村の大仁田にも同様の剣舞があり、その唄の内容が舎利経文であったという。

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お盆の夕暮れ時に笛太鼓とともに笠踊りの一団が集落の家々を巡る様は、正に祖霊供養とともに、秋の実りを祈る一時であったことが偲ばれます。

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動画でどうぞ。

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2017.11.23 |

2017.11.22 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリシシ踊り

湯澤鹿踊 本庭 @第45回川井郷土芸能祭

さて、本日は第45回川井郷土芸能祭から湯澤鹿踊で 本庭です。

由来については「川井村の郷土芸能調査報告書」等より

湯澤鹿踊は、嘉永2年(1849)に隣村の旧江繋村の尻石鹿踊から伝授されたとあります。
小国川一帯のカンナガラ鹿踊ですが、明治7年(1874)に至って茂市(現宮古市)から木挽稼ぎに来ていた者が「茂市踊り」を伝えた。昔は「つぼけ」という道化が付き、「こだす(養蚕の作業で桑の葉を摘み取る際に使うもの)」に顔を書いて顔に当てて踊ったという。




太夫鹿の「すっかあ(=シカ 大口袴)」に描かれた紋は道又本家の紋章であるという。
その道又家には8月14日の盆の廻向では必ず「れいこう」をあげて門付けするという。つまり、この鹿踊組にとって
道又本家は最重要な家柄であったということだ。

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ところで、その「れいこう」であるが、漢字で書くと「礼神」ないしは「礼香」ということで伝わっているそうだ。

川井の鹿踊では門打ちに歩くその道すがら、大事な家や寺社、橋、供養碑等の前で太鼓と唄上げ(念仏)をあげるもののようだ。
そしてさらに、この「れいこう」あるいは「れいごう」と呼ばれる演目は鹿踊のみならず、剣舞、さんさ踊り、御戸入り等、盆の廻向に門付けして回る芸能全てに備わったもののようだ。
これは、これら盆行事の芸能が全て祖霊供養のためのものであったことの証左である。

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また、湯澤鹿踊では次のような言い伝えがあるという。

「天照皇大神が天の岩戸からお出ましになったのを、鳥獣類までも喜び、踊り跳ねたという。大和の国、春日の里から、南部藩、閉伊郡、茂市村の某氏が習い覚え、嘉永2年8月、湯澤地区の人々に伝授した。その巻物は2巻あり、それぞれ胴太夫、頭太夫が保管している」

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という訳で、この湯澤鹿踊は紙ザイ系とカンナガラ系の双方を兼ね備えた鹿踊組ということがわかる。

小国川沿いの集落でも、最も遠野との境(立丸峠)に近い集落に伝承されてきた芸能であるだけに、様々な点で重要なキーワードを持つ団体といえる。
今後も頑張って活躍してほしいと願います。

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動画でどうぞ。

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2017.11.22 |

2017.11.21 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ神楽

江繋早池峰神楽 鶏舞 @ 第45回川井郷土芸能祭

さて、本日は第45回川井郷土芸能祭から江繋早池峰神楽で 鶏舞です。

旧川井村に現存する神楽は、江繋早池峰神楽と末角神楽。それから今は廃絶となった川内早池峰神楽、門馬早池峰神楽、大仁田早池峰神楽があった。
この内、末角神楽だけが社風神楽で他は全て山伏神楽となっている。

江繋早池峰神楽は旧小国村の国道340号線から早池峰山頂に向かう県道25号線(タイマグラ線)にある集落に伝わる神楽です。

古い伝書等は火災により焼失して神楽の発祥等は不明ということですが、古い早池峰系の神楽とは思われますが、遠野の山伏神楽に近い感じがしますので、あるいは遠野経由のものが混在しているかもれません。
ともあれ、江繋早池峰神楽保存会の現代表は田頭勇人さんです。

現在も演じることのできる演目は、鳥子舞、さんば、寅走り、綱切、勢劔、八幡遊、天女、権現舞、すくみ、等ということです。



演目は鶏舞で、三人の舞手が幕の後ろで雲張りをするところから始まります。
そういえば、2年前に見た時は勢劔の三人舞でしたが同じく三人が雲張りしてました。

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〽 ご祈祷に千代の御神楽舞い遊ぶ

三人舞であるところも山一つ向こうの遠野山伏系神楽の感があります。

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中ほどで、三宝に盛った米で爪米をしました。

〽 四方の神は受けて喜ぶ おもしろや~

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終盤で扇と錫杖を採って舞う場面ですが、錫杖咒言を書いているようにも見えます。

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動画でどうぞ。

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2017.11.21 |

2017.11.20 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリシシ踊り

小沢獅子踊り 前庭、女獅子狂い、後庭 @ 第45回川井郷土芸能祭

さて、本日は第45回川井郷土芸能祭から小沢獅子踊りと、指導している宮古小学校獅子踊り伝承委員会による 前庭、女獅子狂い、後庭です。

小沢獅子踊りの起源について、宮古市横山八幡宮HPより引用

「元明天皇の和銅年間(約1250年前)猿丸太夫が天皇の怒リに触れてこの地横山の里(宮古の古称)に流されたとき、里人は殿上人であった太夫に頼んで八幡宮の宮守になってもらった。
太夫は失意の日々を山野に遊ぶ鹿に慰められ、里人の善意に支えられて暮らしていたが、 「奥山に紅葉ふみわけ鳴く鹿の声聞く時ぞ秋は悲しき」と詠んだ配所の歌が上聞に達し許されて都へ帰って行った。
里人は今更ながら太夫の徳をしのぴ、鹿にたわむれていた往時の太夫の心情に想いをはせて鹿子踊を創案し、横山八幡宮の例祭日にこれを奉納したという。
爾来、時代の推移、民生の消長と共に幾星霜、鹿子踊リは黒森山麓の小沢部落にその命脈を保って来たのであるが、たまたま兄頼朝軍の目をかすめて平泉を逃れた源義経が、北方へ落ち延ぴる途次、当市黒森神社に参篭し、前途の平穏を祈願するため大磐若経を書写したと伝えられているが、小沢の鹿子踊リが義経の一行のつれづれを慰めたところ、義経は非常に喜ぴ、「鄙の心のかく厚し、小沢の里よ鹿子よいやさか」と宣い、源氏の大将として都において華やかな歌舞音曲を身につけていた義経は、踊の所作、調ぺの妙ていについて数々の助言をなしたので、小沢鹿子踊リは一段と洗練されて雄渾華麗なものとなリ、その来歴とともに独自の踊リとして今日に伝承されたものである。(宮古獅子踊り由来)_宮古獅子踊り保存会刊より」

とあります。

猿丸太夫伝説は日本各地にあるようなので、伝承譚ということでよろしいのではないかと思います。



この日は、小沢獅子踊りが指導している宮古小学校の子どもたちとのコラボレーションということで、最初に子どもたちが前庭を務めました。

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囃子方は笛数人と太鼓が二人。
獅子は、太夫鹿一人、狩鹿二、女獅子一、ハナ鹿二、ガワ鹿二三の計九人の構成。

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獅子頭の角は鍬形で、真中の前立てはそれぞれ剣月星花型が飾られている。
目の下に描かれた髭のような模様が特徴か。

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小沢獅子踊りは昔は盆に踊ったそうだが、現在は光岸地の大杉神社と宮町の横山八幡宮の祭典時に神輿渡御に供奉している。

昨年度に湊大杉神社の祭典に行った折に見た神輿供奉の様子を自ブログに掲載していますのでご参照ください。⇒曳船祭りと小沢鹿子踊り

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動画でどうぞ。

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2017.11.20 |

2017.11.19 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリシシ踊り

夏屋鹿踊 くるい @第45回川井郷土芸能祭

さて、本日は第45回川井郷土芸能祭から夏屋鹿踊で「くるい」です。

夏屋鹿踊の由来については、伝書「鹿子踊華園巻」に奥書天文11年(1542)とあり次の文が載せられているという。
「大和国春日里 清原形部助譲り置き この人より頂戴つかまつり候 云々」とあり最後に「夏屋村 袴田保福」とある。
その後に慶長、元禄、文政の年号で虫食いのため写本したことが書いてあるので、天文11年に清原形部から伝授されたのが袴田保福なのかどうかは不明と思われます。

とはいえ、この夏屋には山伏観乗院がいて、鈴久名の山伏大泉院などに鹿踊りを伝授し、また旧川井村の片巣などにも広めたということであるので、この地域の鹿踊りの嚆矢といえるかもしれません。



夏屋の獅子頭にはザイが無く、鍬形の角の間に鳥毛を立てている。
紫波町の徳丹獅子踊はカナガラであるが、本来は毛ザイだったということから、これも夏屋の古態を表している。

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鹿頭の違いについては当ブログで書いているので参照されたし⇒「夏屋鹿踊 第4回区界高原まつり」

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狂いは最初三頭が手を繋いで一周りした後、太夫鹿が抜けてワキ鹿二頭が争いになる。
そこへ再び太夫鹿が入り唄がかかる

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〽 春駒は 庭の桜につなぎとめ 駒が勇む 花は散り散り 花は散り散り

再度太夫が去ると二頭が争い、そこへ太夫が戻って唄がかかる

〽 水が沢 やえさえよせれば ささらもさらり よせてかえせ よせてかえせ

三度目の争いが終わると一同立って横に並び唄に合わせて舞納める

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動画でどうぞ。

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2017.11.19 |

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祭・・・それは祈り、畏れ、そして縋り付くばかりの信仰、神人共生の歓びの象徴。さて、明日のエネルギーの糧を求めに彷徨おう。

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