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2019.04.21 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ虎舞

槻沢梯子虎舞@陸前高田市 清瀧神社式年大祭

さて本日からは、4月21日に催行されました、陸前高田市横田町槻沢鎮座の清瀧神社式年大祭のリポートとなります。

清瀧神社の式年大祭は.5年ごとに開催されるものでしたが、前回の平成26年は東日本大震災で犠牲となった人を悼んでまつりを自粛したことから、10年ぶりの開催となったことのようです。

清瀧神社は槻沢の山中にある「男滝」を背後にして社殿が立ち、不動明王と瀨織津姫命を祭神とする.勧請は元禄年間で、不動明王像は寛政7年(1795)に奉納されたと伝わる。

さて、槻沢梯子虎舞です。
陸前高田市の虎舞は、気仙町長部の二日町寅舞、竹駒町の新田虎舞、そして横田町内の槻沢、堂の沢、本宿とがある。
いずれも伝来は気仙沼市唐桑あるいは広田町根岬よりとある。いずれも高い梯子を使った虎舞である。



梯子の高さは60尺2寸(18m)で、梯子の段数は47段。

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梯子の柱には昭和48年3月28日造製とあった。

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槻沢梯子虎舞は、昭和24年に当時の槻沢地区青年会が「戦後復興期に心一つになれるものを」と、堂の沢から指南を受け、習い覚えて祭りに奉納したのが始まり。47年からは後継者不足によって途絶えていたが、平成11年には槻沢地区以外の青年会員も加わって復活させた。

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虎舞には虎を鼓舞しつつあやす「才坊」と、虎には4人が入って舞をする。

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庭入りした後に梯子に登る前に手前の笹で笹喰みをした。これは気仙沼のものと似ている。

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梯子虎舞の発祥譚として次のものが伝わる。
「昔、多くの神々が出雲へ集まることになり、その中のある神が大勢のお供を引き連れて行くと、一頭の獅子が行く手を遮っていた。さらに右手に岩崖、左に深い谷があるため一同大いに困惑したが、一行の中に才坊という機知に富む者あり。身振り手繰りよろしく獅子を誘導し、ついに岩の上へと誘い上げてしまう。お蔭で一行は無事出雲に赴くことができたという」

梯子虎舞は、この故事を舞踊化したものという。

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梯子に乗っての芸能は、獅子舞にも見られる。千葉県君津市の鹿野山 はしご獅子舞は囃子も似ている。

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陸前高田市の資料によると、槻沢梯子虎舞は旧3月28日の清瀧神社の祭典に奉納されるほか、小正月の悪魔祓いにも演じられる。この虎舞は小正月の予祝行事に欠かせないものとされ、毎年正月中に稽古に励んでいる。

と記されているとおり、本来は小正月行事に出されたもので、また才坊も10人つけたとあるので、今とは多少の違いがあるものの、小さな集落にもかかわらず剣舞とともに守り伝えられてきた民俗芸能として大変貴重なものです。

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2019.04.21 |

2019.04.20 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ剣舞

朴ノ木沢念仏剣舞「一人怒者(熊払い)」@風流特別公演会

さて本日は、風流特別公演会から朴ノ木沢念仏剣舞で一人怒者(熊払い)です。

その前に朴ノ木沢念仏剣舞さんの由来について

「伝承では、平泉高舘の駄一郎が都鳥村(現南都田地区)に伝承。その後、寛政8年(1796年)都鳥村の長八より小山堀切、伊勢堂の平助に伝承されて始まったとされています。
(文久3年の石碑が残っている)
平成5年12月、「鬼剣舞」として、北上市と旧衣川村の3団体と共に、国指定重要無形民俗文化財の指定となりました。
兄頼朝と藤原泰衡の裏切りにより、奥州平泉で無念の最期をとげた、義経主従の亡霊が毎夜高舘に現れ、泰衡が亡霊退散を願い祈祷させたところ、釈迦の化身である一匹の猿が現れ、荒れ狂う亡霊達の中に交じり念仏を唱えながら踊る、亡霊達の心も安らぎ成仏したこという由来に基づく踊りです。」

ということなそうです。現在の代表は三田一男さんです。



この舞は一人で舞うもので、亡霊の荒れ狂うさまを舞の中に取り入れたもので悪魔祓いの祈祷舞といえる。

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熊払いは、二本の太刀を激しく振り祓います。

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2019.04.20 |

2019.04.19 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ剣舞

朴ノ木沢念仏剣舞「本剣舞」@風流特別公演会

さて本日は、風流特別公演会から朴ノ木沢念仏剣舞で本剣舞です。

その前に朴ノ木沢念仏剣舞さんの由来について

「伝承では、平泉高舘の駄一郎が都鳥村(現南都田地区)に伝承。その後、寛政8年(1796年)都鳥村の長八より小山堀切、伊勢堂の平助に伝承されて始まったとされています。
(文久3年の石碑が残っている)
平成5年12月、「鬼剣舞」として、北上市と旧衣川村の3団体と共に、国指定重要無形民俗文化財の指定となりました。
兄頼朝と藤原泰衡の裏切りにより、奥州平泉で無念の最期をとげた、義経主従の亡霊が毎夜高舘に現れ、泰衡が亡霊退散を願い祈祷させたところ、釈迦の化身である一匹の猿が現れ、荒れ狂う亡霊達の中に交じり念仏を唱えながら踊る、亡霊達の心も安らぎ成仏したこという由来に基づく踊りです。」

ということなそうです。現在の代表は三田一男さんです。

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朴ノ木沢念仏剣舞の伝承演目は、大念仏(胴取り)、一番庭、一番庭の狂い、三人怒物、八人怒物、一人怒物、引き剣舞としていて、一人怒物には猖則、切り払い太刀、熊払い太刀、新猖則、オッコミ、魔王、魔王くずし、オッコミくずしがあるという。

一番庭は本剣舞とも称されて七人の鬼とカッカタ一人で舞う、この日は鬼は五人でした。

道太鼓で舞台入りした後に後生楽から始まり、開いた扇を持って踊ります。

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真ん中のカッカタ役は、猿面をつけて釈迦如来の化身として鬼を折伏するというものです。

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本剣舞では、鬼は扇と錫杖のみを持って舞います。
最後にカッカタと二人の鬼が残って荒々しく舞いますが、これは川西念仏剣舞でカッカタが居並ぶ鬼たちを順に折伏していく舞の変形ということのようです。

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2019.04.19 |

2019.04.18 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ剣舞

滑田鬼剣舞「三人加護」@風流特別公演会

さて本日は、風流特別公演会から滑田鬼剣舞で三人加護です。

由来は

明治31年に地区民の総意により部落活性化を図る目的をもって、和賀郡岩崎村に伝わる岩崎念仏剣舞に教えを請い、稽古に励みこの年を発創の年と定める。
明治34年に18演目を修得し、巻軸三巻の伝授を受け、滑田鬼剣舞として発足し、供養碑建立する。
平静年に国の重要無形民俗文化財の指定を受ける。

とあります。



三人加護は滑田系にのみ伝承される演目で、現在の岩崎系では踊られていません。
念仏剣舞もその発祥段階では修験者が大きく関わったとされるため、その内容には神楽の要素が多分に含まれています。

最初は赤面二人が扇を摂って場を清めるように舞いますが、この日は略式でなく正調の三人加護ということで、ひとつひとつの所作を四方に向けて行いました。
これは、いわば神楽の四方切りの如くであります。

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次に囃子が神楽拍子に変わって白面が入り込む。

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三人舞での四方切りは、正に四方の悪魔降伏、病魔退散、厄払いといった感があり、念仏回向というよりは神楽の祈祷舞そのものです。

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最後は白面が幣束を持って四方を祓いながら舞い納めます。

正調三人加護、感服しました。

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2019.04.18 |

2019.04.17 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ剣舞

滑田鬼剣舞「狐剣舞」@風流特別公演会

さて本日は、風流特別公演会から滑田鬼剣舞で狐剣舞です。

滑田鬼剣舞さんの由来についてはオフィシャルページ「滑田鬼剣舞のページ」
から引用させていただきました。


明治31年に地区民の総意により部落活性化を図る目的をもって、和賀郡岩崎村に伝わる岩崎念仏剣舞に教えを請い、稽古に励みこの年を発創の年と定める。
明治34年に18演目を修得し、巻軸三巻の伝授を受け、滑田鬼剣舞として発足し、供養碑建立する。
平静年に国の重要無形民俗文化財の指定を受ける。

とあります。



演目の狐剣舞は滑田系にのみ伝承されている演目で、なぜか岩崎系にはありません。

出掛かりの部分は非常に独特で、荘厳かつ妖気漂う感じがします。
個人的には川西大念仏剣舞のオッコミによく似ていると思います。関連性があるのでしょうか。

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この狐剣舞には伝説があるそうです。澤田定三著「岩手の郷土芸能」から抜粋します。

伝説とは、この剣舞の掟として、踊り初めの笠揃いと踊り納めの二回は、土地の稲荷神社に奉納参拝することになっていた。ある年の踊り納めの時のこと、その日は朝からどんよりと曇った秋錆びた日で、夕方からみぞれ混じりの小雨さえ降りだした寒い日であった。
稲荷様に供えたお神酒を供物の肴で、直会の祝い酒を酌み、やがて礼舞の庭造りに入るや、一人の踊り子が俄に腹痛を訴えたので、社殿の傍らに休ませ、一人欠員の七人で踊りが継続された。
暮れ早き晩秋で暗い境内の中は二つ三つの提灯のみで、辛うじて踊りが見られると言う程度の明るさである。
踊りも半ばを過ぎた頃、太鼓打ちがふと見ると、定員の八人になって踊っているではないか。腹が痛いといった者がよくなって踊っているものと思いながら気にも留めずにみていると不思議にも一番後方の一人がどうもおかしい。面が全く見えない。それに足が飛んだり、もつれたり、前のめりになったりして体の中心がとれない。腰の落ち着きもない。

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やがて踊りが終わって全員片膝つきの礼の頭を下げ、立ち上がった人員はやっぱり七人であった。
社殿に蹲っていた踊り子はずっと横になっていたということだ。
それから一同がそのことを話し合って慄然とした。師匠はおもむろにこれはきっと稲荷様の恵みであるといった。
稲荷明神が使いの狐の化身としてつかわし、恒例の納の参拝に一人の欠員があってはならぬとして踊らせたのであろう。
そういう訳で、稲荷様の加護の神秘的なものに感激した剣舞の連中は、この恵みを象徴して一つの踊型を仕組んだのが、この狐剣舞であるという伝説である。

この演目は最後の稽古ものとされているそうである。最後の奥許しということです。


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2019.04.17 |

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Author:祭りの追っかけ
祭・・・それは祈り、畏れ、そして縋り付くばかりの信仰、神人共生の歓びの象徴。さて、明日のエネルギーの糧を求めに彷徨おう。

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