2017.09.23 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ神楽

館下神楽 安倍保名 搦め捕われの場 @ 第57回北辰神社神楽大会

さて本日は、第57回北辰神社神楽大会から審査演目最後の番です。館下神楽さんで 安倍保名搦め捕われの場です。

その前に館下神楽さんの由来について

「昭和五三年四月、田中安雄が庭元となり神楽愛好者数人が、志波姫の刈敷神楽佐藤典雄師匠の指導を受け、舘下神楽を創設した。刈敷神楽は、栗駒町栗原神楽の佐藤正吉師匠の指導により復活したという。
初代庭元田中安雄、二代目は曽根英寿である。」

保持する演目で代表的なのは御所の五郎丸陣屋巡りの場、法童丸庭園の場、安倍保名一代記 等となっています。

現在の代表者は柳澤良夫さんです。



さて、演目の安倍の保名捕らわれの場は、信田明神に参詣した安倍保名が祝宴の幔幕を張っていると一匹の白狐が助けを請うて飛び込んできたので、心優しい保名は狐を自陣の幔幕の内に隠します。
するとそこへ石川悪右衛門が狐を追ってきて、白狐の行方を尋ねますが、それに応じない安倍保名と乱闘になります。

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戦いの末に石川悪右衛門が安倍保名に対して縄を掛け、あくまで白狐を出せと迫ります.

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事の始終を見ていた白狐は、礼盤上人に身を替えて悪右衛門を諭して保名を解放させます。

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葛の葉に助けてもらったものの、石川悪右衛門との戦で全身に傷を負ってしまったことを恥じて、保名がその傷を癒すために巌の滝へと向かう場面です。

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動画でどうぞ。

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2017.09.23 |

2017.09.22 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ神楽

瀬峰神楽 大蛇退治 @ 第57回北辰神社神楽大会

さて本日は、第57回北辰神社神楽大会から瀬峰神楽さんで 大蛇退治です。

その前に、瀬峰神楽さんの由来について、

「現在の瀬峰は、明治の中頃まで藤沢地区と大里地区に分かれていた。
藤沢地区には南部神楽の流れを汲む二つの藤沢神楽が存在していた。
氏家慶喜氏と細川勇三郎氏をそれぞれ座頭に活動していた。しかし両神楽とも後継者に恵まれず、大正の中頃には自然消滅状態となり、実に五十数年もの間途絶えていた。
昭和四十六年四月、当時の瀬峰町文化財保護委員の木村二郎氏が、藤沢神楽を復活させようと各方面に提唱していた。おりしも同年十二月十八日の河北新報に、登米市中田町宝江新田の「舘神楽」が紹介されていた。それによると舘神楽の元祖は、瀬峰の藤沢神楽であると判明したと書かれていた。これを機に木村氏は更なる呼びかけをし、舘神楽に指導を仰いで練習を重ね、昭和五十年一月十九日「瀬峰神楽保存会」(初代会長鎌田里見、会員十三名)の名称で設立発足し現在に至っている。」

ということで、その舘神楽は加茂流を称しているとおり流神楽を継承しているので、幕末の藤沢神楽自体が流神楽だったことなのかもしれない。



演目は素戔嗚尊の大蛇退治です。
高天ヶ原を追われて豊葦原瑞穂の国に降臨した素戔嗚尊が肥の川上から櫛が流れてくるのを不思議に思い辿って行くとある親子に遭遇する。

櫛稲田姫です

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その親、足名椎の尊

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そして母の手名椎の命

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そこへ、放浪の神、素戔嗚尊が現れて、老夫婦が困窮する訳を質します。
そして、最後に残った櫛稲田姫の命を救うため八岐の大蛇退治と戦うことを決意します。

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瀬峰神楽さんは、法印神楽の影響を受け継いでいるので、大蛇は赤い装束で出てきます。

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刀ではなく打杖での戦いも法印神楽の影響が見て取れます。
法印神楽ではこの後、客席に降りて大乱闘になる。

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めでたく大蛇を征伐して素戔嗚尊の和歌が唄われ、そして千代の御神楽となります。

八雲立つ出雲八重垣妻込に 八重垣作るその八重垣を

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最後に千代の御神楽となります。

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動画でどうぞ。

https://www.youtube.com/watch?v=PisAxLrvsHg#action=share

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2017.09.22 |

2017.09.21 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ神楽

達古袋神楽 羽衣 @ 第57回北辰神社神楽大会

さて本日は、第57回北辰神社神楽大会から達古袋神楽さんで羽衣です。

その前に、達古袋神楽さんの由来について定本より

「明治二年の火災で記録を失ったので資料はないが伝える所によれば、八幡神社は田村麻呂公の勧請といい、康平五年(一○六二)八月一五日再建の棟札もある。
八幡山常学院は、京都本山派の相模坊が、文明一○年(一四七八)開設し、古くから八幡神社の奉納神楽として法印神楽が舞われて来た。
なお弘化年代(一八四四)に神楽も盛んになり、明治以降には、胆沢地方、宮城県北、栗原郡、玉造郡等にも伝えられた。
明治以前は常学院が宮元となり指導に当ったが、以降の歴代師匠は、明治一一年小野寺伊三郎、明治二○年阿部徳太郎、明治二五年小岩勝蔵、明治三○年小岩利右エ門、小岩彦三郎、大正九年~昭和三八年まで阿部長治、以降阿部孝が指導に当り後継者の養成に当った。」

とあります。

現在の代表は小岩恭一さんです。



演目の羽衣は、羽衣伝説に題材をとったものです。
昔話の羽衣では、衣を返してほしいという天女を疑い、漁夫は夫婦になることを強要してなかなか天に返さないのですが、南部神楽の羽衣は能楽の筋立てと同様になっています。

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三保の松原に天女が舞い降りて一舞し、羽衣を松の小枝にかけて何処へともなくいなくなります。

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そこへ、土地の漁師、白両が通りかかり、松に掛けられた羽衣を見つけて家の宝にと持ち帰ります。

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戻ってきた天女が白両に羽衣を返して来れと頼みます。
白両は天女の舞を見せてくれたら返すと約束したので、天女とその側女は扇と鈴で軽やかに舞います。

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めでたく話が納まったところで、白両と天女と側女とで崩し舞です。

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動画でどうぞ。


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2017.09.21 |

2017.09.20 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ神楽

大森神楽 宝剣納め @ 第57回北辰神社神楽大会

さて本日は、第57回北辰神社神楽大会から大森神楽さんで宝剣納めから取り返しまでです。

大森神楽さんの由来は「大森神楽保存会HP」より⇒こちらを参照してください

「大森神楽は、1970年(昭和45年)7月、当時の衣川村立衣川小学校大森分校教諭佐々木久雄(直木賞作家(故)三好京三)氏と当時村の教育長で大原神楽の師匠(故)小坂盛雄氏が中心となり、分校の児童に神楽を伝授したのが始まりです。その後学校教育とかかわり合いながら活動し、児童全員に踊り伝えられてきました。1998年(平成10年)3月に大森分校が閉校となり、保存会として再スタート。一関市山谷から伝わる三輪流の流れを継承し、南部神楽の一団体として活動しています。」

ということなそうですが、現在の代表は佐藤吉訓さんです。

今年の北辰神社神楽大会の優勝になりました。



素戔嗚尊が八俣の大蛇退治により手に入れた宝剣「天叢雲剣」を熱田神宮に奉納にきます。
力みの十分に籠もった責め舞です。

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続いて磐長姫変化の登場ですが幕だし唄が掛かります

〽 センヤー 熱田の宮へと急ぎ行く ヨヨサー ヨヨサー

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山の端舞の胴拍子に乗って磐長姫に身を変えた悪鬼が舞い出ます。
宝剣納めの最重要演出の部分です

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磐長姫変化が、身を変えて宝剣を盗み取ろうとしましたが、天照皇大神の宝鏡に己の醜い姿が映ったことに気づき、宝剣を盗み取って海の底へと逃げてゆきます。

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時は移り、日本武尊が熱田神宮に参拝すると素戔嗚尊が納めたはずの宝剣が無いことに気づき、定めし悪鬼の仕業に違いないと悟り、悪鬼を追い詰めに急ぎます。

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磐長姫变化と日本武尊の戦です。
ここで演じているのは父と息子です。

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そして宝剣を奪い返します。

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動画でどうぞ。

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2017.09.20 |

2017.09.19 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ神楽

沢辺神楽 秀衡公 桜狩の場 @ 第57回北辰神社神楽大会

さて本日は、第57回北辰神社神楽大会から沢辺神楽さんで秀衡公桜狩の場です。

その前に沢辺神楽さんの由来を「栗原伝統伝承芸能記録保存」より抜粋

「昭和49年11月、沢辺地区と姉歯地区の有志6人が集まって斎藤憲雄が庭元となり、城生野神楽の熊谷勤師匠を講師として迎え、黒沢流南部神楽を習得した。
昭和53年に栗駒文字駒堂神楽の師匠菅原金雄氏に師事し山谷流の鶏舞を習得した。」

ということなそうです。現在の代表は佐藤忠一さんです。



物語は、奥六郡の主である藤原秀衡が花見の祝宴をしている場面から始まります。

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金売吉次です。沢辺神楽さんの地元出身と言われています。

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話は遡って、奥州藤原家と藤原基成の関係について少々。

後鳥羽院の重臣であった藤原忠隆の息子で、兄弟姻戚に関白が多くいるなど権力の中枢近くにいたようです。
その基成は、康治2年(1143年)4月に陸奥守に任官され、6月に鎮守府将軍を兼任し平泉へ下向。その後、仁平3年(1153年)までの約10年間を平泉で過ごしている。

その後、平治元年(1159年)の平治の乱で敗れた異母弟・信頼との縁座によって陸奥に流された。以降、秀衡の岳父として衣川館に住み、奥州藤原氏の政治顧問的な立場を確立した。

この間、平泉二代藤原基衡と親交を深め、政治的相談役ともなったことなどから、娘を基衡の息子秀衡に嫁がせている。
その娘がこのしずはた姫ということです。
秀衡が京都の朝廷と長く政治的均衡を保てたのもこの基成の助力があったことともいえますが、秀衡としずはた姫の子、泰衡の時代になると風雲急を告げることになるのですが・・・


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流罪になった父藤原基成をしずはた姫が尋ねてきて、自らを表すため歌と舞を花見の場で披露する場面となります。
扇車の舞が艶やかです。
舞手は森田きみえさんで、この日の舞の部個人賞を受賞しています。

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動画でどうぞ。

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2017.09.19 |

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Author:祭りの追っかけ
祭・・・それは祈り、畏れ、そして縋り付くばかりの信仰、神人共生の歓びの象徴。さて、明日のエネルギーの糧を求めに彷徨おう。

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